午後二二時───。  晩御飯も終わって、テレビでも見ながらマッタリする頃……姫榊神社はなんとなく賑やかだった。 「だからそっちを代入するんじゃなくて、こっち、こっち」 「あれー!?」 「ちあらは? 進んでる?」 「コクリ」 「どれどれー?」  こなみがちあらのノートをのぞき込む。 「ふんふん、そうそう、あってるあってる。ウチの駄妹と違って飲み込みが早いわね」 「ふ!」  ちあらは満足げだ。 「駄が余計なんだけど、駄が!」 「その問題解いたら、付けるのやめてあげる」 「や、やってやるわよ!」  ななみはむきーっと一心不乱にちゃぶ台に向かった。  実は住んでいる場所が近い蔵前姉妹とちあらは、こうして夜、一緒に宿題をすることが多い。  もっとも学年が違うので、ななみとちあらで勉強する内容は異なる。で、こなみが両方に教えるという構図だ。 「これで、宿題の範囲は終了」  一方のちあらは小さく伸びをして、パタンとノートを閉じた。 「ご苦労様、ちあら」 「ううん、こなみのおかげ。いろいろ解らなかったことがあったから、教えてもらって助かった」 「どういたしまして、これくらいお安いご用よ」 「えー、わかんないのあたしだけー?」 「そゆこと、ほらななみもさっさと終わらせないと、駄って呼ぶわよ、駄って」 「妹ですらなくなるのね……」 「お茶とってくる」 「あ、そうね、お願い」  冷蔵庫には冷え冷えの麦茶と韃靼そば茶が。だが、実はちあらは冷たい飲み物が苦手である。体温と同じくらいの飲み物が好きだ。冷たい飲み物を飲むと、気が乱れるというのもある。  が、こうしてお客さんが来た時のために冷やしてあるのだ。 「さっき麦茶を出したから、そば茶にしよう……」  ちあらはコップに氷を入れると、韃靼そば茶を、それからポットに入っている、冷やしてない麦茶を自分のコップに注いだ。 「だからー! わからんちん! こっちに式を展開するんだってば!」 「えー!? だってさっきはこっちだって」 「あんた、人の話を聞いてないでしょ。〇にする方に展開するの!」  居間に戻ると相変わらずこなみとななみが、ぎゃーぎゃーやっている。 「はい、お茶」 「あ、ありがとー」 「サンキューサンキュー」  しかしちあらの一言で、その言い合いがピタリと止んだ。なんだか面白い。この二人は家にいてもずーっと言い合いをしてるんだろうか? そしてお母さんから「ごはんよー」とか言われたら、ピタッと仲直りするんだろうか……などと想像する。 「なにか甘モノもいる?」 「あー、いいわねぇ」  こなみが嬉しそうに言うが、ななみはふと時計を見あげた。  もう二二時をとっくに過ぎている。いま食べてしまうと……。 「太るよ、おねーちゃん」 「よねー、お茶だけにしとくわ」 「ん、わかった」  と、こくんと頷いた時だった。  ちあらの心に、つよい感情の波が届いた。  それはちあらの心にぶつかり、まるでガラスがはじめるように周囲に散らばる。 「わ……!!」  負の衝撃。  感動とか、嬉しいとかそういうものではなく、完全にネガティブで、叫びにも痛みにも似た衝撃だ。  自分の守護すべきテリトリー内で、誰かが死に直面するほどの事態に見舞われたようだ。 「どしたの、急に止まって?」  ちあらの異常に気付いて、こなみがちあらの顔をのぞき込んだ。ちあらのその視線はどこに焦点があっているかも解らず、ただ空を見つめていた。 「あ……」  そこで瞬きして、こなみに焦点を合わせた。 「なんか時間止まってたわよ?」 「ちょっと、用事ができた」  ちあらはすっくと立ち上がる。 「あら、そうなの? あと一問なんだけどな。でも、まぁ別に急いでやる問題でもないから、あたしたちも帰ろうか?」 「あ、うん」  ななみも慌ててノートを閉じる。 「ダメ」  するとちあらは二人を制し、首を振った。 「二人はここにいて……」  そして真剣な顔で、立ち上がりかけた二人を諫めた。 「へ? でもちあらが外に出るなら、ついでに……」 「ちあらは宿題終わったしね」  二人は不思議そうに首をかしげた。 「今、外に出てはいけない。危険」  しかしちあらは、その真剣な表情を崩さない。 「どうしたのよ、そんな怖い顔して」 「いいから、絶対に外に出ないで。すぐにもどるから」  ちあらはそう言って、まるで念を押すように二人の手を握り返すと、外へと出て行った。その時、床の間に飾ってあった二振りの刀をつかんでいくのを、少なくともこなみは見逃さなかった。  ちあらは落ち着いて外に出ると、そこからは駆け足で国道へと向かう。  そしてまずは交番に駆け込もうとすると、すでに警官が一人、外で耳をそばだてていた。 「巡査」 「ちあらちゃん!」 「聞こえた?」 「ああ、女性の悲鳴が聞こえたと思ったんだが……方角がわからないんだ……」  あれだけの衝撃だ、声が上がっても不思議はない。  ちあらはあの衝撃を感じた方角に意識を向ける。 「わかるのか?」 「コクリ」  ちあらは深く頷くと、そちらへと走り出した。  警官もパトロール中の札をかけると、ちあらの後を追う。  距離はそんなに遠くない。一〇〇メートルか、いや二〇〇メートルはあるか……。  近づくにつれ、だんだんと負の衝撃が強くなってくる。  ちょうど水面に石を放り投げたかのように、負の感情が空間を伝わって、ちあらの心の中に波のように伝わる。ただ最初の衝撃よりは、だいぶ弱くなっている……というか、他の様々な感情に見え隠れしている。大海原に船が波間に現れたり消えたりするように……。 /* 『黒翼…!』  走りながらもちあらは、自分の主に意識を送った。 『様がついていないぞ』  すぐに答が返ってくる。その声は不機嫌そうだ。が、いつものこと。 『誰かが襲われた』 『うんむ、位置は把握している』 『さすが』 『増幅するから、ちゃんと情報を分析して』 『わかった』  すると、先程まで断片的に伝わっていた感情が大きな波となってちからの心にぶつかってきた。 */  そしてそれは既に「痛い」とか「苦しい」とか「助けて」などの感情の体をなしていない。  痛み、苦しみ、恐怖、混乱など様々な思いがごちゃ混ぜになっている。またおそらく被害者の記憶であろうか? よく解らない情報も届いてくる。おそらく被害者は今、走馬燈を見ているのかもしれない。  とにかくあらゆる脳内分泌物が一気に放出され、そもそもどんな感情を示しているかさえも解らなかった。脳がひたすら負の情報を垂れ流しまくっている状態であり、それはすでに現状を理解出来てないことを指す。 「救急車! あと、応援も……!」 「わかった」  ちあらの早口に警官は状況のまずさを悟った。  しばらく国道沿いに走り、総武線の高架にぶつかったら川の方へ折れる。どんどんと負の感情が強くなる。と、同時に、ちあらはその脳が垂れ流す情報ではなく、脳に届けられる情報をかき集めた。  次々と中枢神経には、あらゆる器官からの絶望的な情報が集まってくる。  心臓は……まだ動いている……。  肺は……左側は絶望的。  内臓からの情報がどんどんと薄くなっていく。多臓器不全をおこしはじめているようだ。  そして決定的に、血が足りないことがわかる。  高架沿いに進んで、二つ目の交差点を高架の下へ。そこから高架下の駐車場に入れるようになっている。  その中は、街灯の光もほとんど届かない、暗闇だった。  ちあらは躊躇わずに進んでいった。  ほどなくすると、地面に黒い塊が見えた。 「いた…!」  むわっと血の臭いが、ちあらの鼻をつく。  倒れていたのは二〇歳代とおぼしき若い女性だった。目は見開かれて、瞬きをまったくせず、ただ身体中が痙攣している。  地面にはすでに血だまりができており、その出血の強さを物語っていた。心臓が脈打つたびに、どっと血液が外に流れ出してくる。  ひゅーひゅーという呼吸の音は何とか聞こえる。 「はぁっはぁっはぁっ……ちあらちゃん、速いね……!」  ほどなくして警官は追いつくと、その惨状にむせることなく、すぐに位置情報を救急車に伝えていた。  ちあらは女性の身体に手を当てて、まずは止血を試みる。ちあらの手に、どばぁっと生暖かい血液が降りかかる。血が噴き出す場所から止血はするものの、しかし身体は完全に貫かれており、止血しなければならない箇所が幾重にもなっていて、そこここから血液がこぼれ落ちた。 「あ……あ……あ……」  あれよあれよという間に、内臓が弱っていく。 「大丈夫ですよ、救急車がもうすぐ来ます。苦しいでしょうが、心に希望を持って! 息を止めないで!」  警官は必死に語りかける。脳に刺激を。生きる希望を。周囲はすでに味方しかいないことを、一生懸命語り続けた。  だが、脳も血液不足で、すでに先程あれだけ垂れ流していた負の感情も、ほとんど弱くなっていた。 「わたしができる応急処置は、ここまで……まだ心肺停止にまでは至ってないけれど……いつ止まるかは解らない」 「救急車は五分もかからずに、来ると思う」  警官はそう言いながらも周囲を警戒してくれていた。  この女性は刺されたばかりであり、刺した犯人はまだ近くにいる可能性があるからだ。 「巡査はここで待っていて、わたしは犯人を捜す」 「一人で? ……という言葉は野暮だったね」 「コクリ」  ちあらは頷くと、腰にしてある二振りの刀をポンと叩いた。警官も、無言でうなずく。  走り行くちあらに警官はトランシーバを放り投げた。彼はこのことを予想していたのか、予めもう一つ持ってきていたのだ。  ちあらはそれを後ろ手でキャッチしながら、路地の向こうに消えていく。  まだちあらの右手は、女性の血でじっとりと生暖かった。 *   *  *  とはいえ、犯人の目星をつけるのは難しい。  あの女性を刺して、それからどこに向かったのか?  刺したのは計画的か? それとも衝動的か?  凶器は何か?  すくなくとも女性の身体は刃物が貫通していた。  背中から、あばらを突き破って。  相当な憎悪があったのか?  刃物を引き抜いているということは、犯人も多分に血を浴びているはずだ。  衝動的なら、逃げ方も衝動的なはず。  計画的なら、逃げ方も考慮しているはずだ。場合によっては近くに潜んで、事が落ち着いてから移動することもあり得る。  犯人はタオルか何かを持っていたのか、被害者の血のあとをつけるのは難しいことがすぐにわかった。  もしくはあまり血は浴びていなかったのかもしれない。  高架を南側に抜けたすぐのところまでしか、血では追跡できなかった。しかし、少なくとも方向はわかった。  あとはこの方角に進んでみて、憎悪・憤り・焦燥・後悔などの念を探すしかない。  が……。  そんな感情は、自分の周囲にはまったく感じられなかった。少なくとも人を刺し殺すほどの強い感情は。 「む……」  逃してしまうのか?  こんなに短時間なのに?  大通りでタクシーでも拾ったか?  ちあらは戸惑った。  考えてみれば、あの女性が刺されてからも、届いてくるのはあの女性の感情だけだった。刺した側の感情はまったく探知できなかった。人を刺し殺すほどの強い想いを抱くはずではないのか?  探知の範囲を広げるか……?  しかしそうなると、キャッチできる意識は薄くなる。 『黒翼?』  もう一度主に助けを求める。 『まだ、近くにいる。それに刺したのはただの人間だから、霧となって消えることもない』  黒翼の相変わらず不機嫌そうな声が返ってくる。いちいち聞いてくるなと言わんばかりだ。 『考えろ、ちあら。おまえの意識に引っかからないと言うことは、どういうことか』  そこで黒翼の言葉は途絶えた。  そこまで教えれば、あとはちあらでも解決できるということなのだろう。  ちあらはゆっくりと、うら寂しい道を歩いた。  タクシーが一台、大通りから入ってきた。道の真ん中を歩いていたちあらは路肩によけながらも、すれ違いざまにその後部座席を凝視するが、空だった。ただ単に駅前のタクシー乗り場に寄せるために裏路地に入ってきただけのようだった。 「いったいどこに……」  街灯はあるので、真っ暗というわけではない。  逆に、ちあらの白衣(巫女装束の白い部分)が、闇に浮かぶように映えた。  だが、ちあらの意識にはなにも届いて来なかった。 「むむぅ……」  ちあらは立ち止まって、考え込んでしまった。  本当は立ち止まってはならない。犯人がもし今も逃げているなら、どんどんと距離が離れてしまうことになる。  とぼとぼと歩きながら周囲に気を配る。この場合の「気を配る」とはまさに自分の気を周囲に配して、それに引っかかる様々な意識を集めることである。意識のレーダーとでも言おうか?  なので当然、周囲にいる色んな人の意識も入ってきてしまう。今ちあらが探索しているのは、憤りや焦燥、後悔などの感情だ。だからたとえば夫婦げんかが近くで起きていれば、それも探知できてしまったりする。  だが人を刺すほどの強い衝動は、感じ取れなかった。 「くろ……」  もう一度、主の力を借りようと思ったが、返事が来ない可能性の方が高いと悟り、途中で辞めた。 「ふぅ……」  車が通れないような小さな路地との交差点で立ち止まって、一呼吸したその時だった。不意に大きな手がちあらの後ろから現れると、ちあらの体を抱きしめるかのように、迫ってきた。 「!!!」  その手の大きさと腕の角度から、だいたいの身長に目星をつけると、その大きな右手が自分を抱きかかえる前に、ちあらはグンと地面を蹴って、前転するように縦に回転した。  大きな手が空振りをすると同時に、ちあらの右かかとが自分の背後にいる男の顎をつかむ。  そのままちあらは一回転して、男をアスファルトの上に脳天からたたき落とした。  くぼっという、よく解らないくぐもった男の声。同時に口から何かが飛びだし、血があふれた。  舌を噛み千切ってしまったのである。  ちあらは慌てて男の口に手を突っ込むと、気道を確保した。  男は既に気を失っており、手足をわずかにビクつかせると、静かになった。  だがその手に持ったナイフは、しっかりと握られていたままだった。おそらく何か名前のついているナイフなのだろう。ごつくて、長い。 「容疑者、確保」  ちあらはもう片方の手でトランシーバを掴み、巡査に報告した。 『お見事、さすがだ。すぐに応援をそっちに向かわせる。場所は?』 「E32-56」  ちあらはそばの電柱を見上げて、位置コード番号を読み上げた。 『了解』 「それと、救急車をこちらにも」 『おっと、ひょっとして切っちゃった?』 「それは大丈夫。けど、口腔内に裂傷と頸椎がたぶん砕けたかも……全部じゃないけど」 『わかった』  通信が終わると、急に静けさが遅う。  ちあらは路上で大の字に倒れている男を、せめて路肩に寄せようとしたが、ちあらの力ではびくとも動かなかった。先程この男を投げられたのは、男が立っていてかつ前のめりになっていたこと、遠心力と全体重が乗せられたからであって、手で引っ張るのは、ちあらの力では無理だった。  もちろん助走をつけて、蹴っ飛ばしたりすれば動くのだろうが……下手に動かして神経にまで傷がつくと大変なことになる。 「むぐぐー!」  せめて体だけでも少しは寄せられないかと思いっきり引っ張ってみたが、数センチしか動かなかった。  まぁいい、もうすぐ応援が来る。  車が来たら、よけてもらえばいい。  そんなことよりも恐ろしいのは、この男が探知できなかった理由である。  それは、平常心だった。  彼は人間の身体をナイフで貫通させるようなことをしておきながら、後悔の念も、激昂した荒い心も、怒りも、見つかったらどうしようと言う焦燥も、なかったのである。  普段とまったく同じ心で、何も感じる事なく、平常心でいられたのである。  ちあらに襲いかかったのも、ただ目の前に獲物がいたから。  さも当然の如く。  人間とは、こうもなれるのだろうか?  今までこの男はどう生きてきたのだろうか?  ちあらは、興味半分でこの男の脳に意識を沈めてみた。 「う……」  いくつかの映像が入り込んでくるが、ちあらはすぐにそれらをシャットアウトした。  一瞬見えただけでも、おぞましい。  定職に就かず、住む家もなく、強盗をくり返してきた。  施錠していなかった女性の部屋に入り込み、レイプし、殺し、金品を奪った後、放火。  一人歩きの女性を、絞殺して死姦し、さらに財布を奪った。  殺人や盗みなどなんとも思っていない。  金に困れば、そういったことをくり返してきた。  今までよく捕まらなかったなという思いがちあらの心を過ぎった。 「ごくろうさまです!」  程なくすると、パトカーが二台、ちあらのそばにとまり、警官がやってきた。  救急車の音も聞こえてくる。  よく見れば、遠巻きに野次馬も少し居た。深夜だったため、そんなに人通りは多くないが。  ちあらは軽く状況を説明すると、自分と一緒に来た巡査の名前を告げ、後の処理を託した。救急隊員には、男が舌を噛み切ってしまったことと、頸椎が一部砕けていることをつたえた。  それから、現場に戻る。  現場はすでに野次馬と、そして警官達でごった返していた。  何台もの緊急車両が停まっており、赤色灯が現場全体を真っ赤に染めていた。  救急車の姿は既になく、女性はすでに収容されたようだ。  ちあらは人垣を分け入り、さらに規制区域に入る。  鑑識の人たちが慌ただしく往来している。 「ご苦労様、ちあらちゃん」  一緒に出た巡査が、ぽんとちあらの肩を叩いた。 「お疲れ様。奥、いい?」  ちあらはあの刺された女性が倒れていた方を指さす。 「あぁ、いいけど、何か?」 「気になることが一つだけあるから」  そう言うと、ちあらは高架下を歩いて行く。後ろを、巡査がついていった。 「あぁ……」  現場にたどり着いたちあらは、やっぱりと心の中でうなだれた。  すでに、あの女性は、息を引き取ったようだった。  鑑識達が写真を撮ったり、寸法を測ったりしているその真ん中で、錯乱し、狂ったようにのたうち回る女性の霊魂があったのだ。  それはまさに、狂気そのもの。  正常に状況を判断する前にショック状態になった脳が、そのままあらゆる負の感情を爆発させた状態とでも言おうか。  自分がどうなったかも解らない。  死んだことも解っていないかもしれない。  一瞬の凶行が、こうした不幸な霊を生み出してしまう。このまま放っておけば、更なる不幸を呼び込むようになる。いわゆる地縛霊というヤツだ。 「少しの間、どいてください」  ちあらが静かに鑑識の面々に、そう告げた。  何が起きるのか彼らも察したらしく、立ち上がってちあらの前から退いた。  ちあらは、錯乱し、叫び、狂い続ける霊に近づくと、いくつかの言葉を語りかけてみたが……言葉は届いていないようだった。  しかしちあらには自分が見えていると言うことには気付いたらしく、半狂乱になってちあらに向かってくる。 「紅火瞬祓(クレナイホノマタタキノハラエ)!!」  一瞬の炎がちあらの腕から立ち昇る。  それが他の人間に見えたかどうかは解らないが……その霊を跡形もなく、燃やし尽くしてしまった。 「これで、終わりです」  ちあらは霊のいた場所の前で手を合わせた後、鑑識の人たちに深々と頭を下げた。鑑識の人たちも手を合わせる。  しかし魂はもうない。  安らかに眠ることもできずに、ちあらに焼かれてしまった。 *  *  *  神社に戻ってきたのは、もう〇時を回っていた。 「おっそーい!」  蔵前姉妹がしびれを切らしていたのは、言うまでもない。 「ごめんなさい」  ちあらは素直に詫びた。 「すぐ戻るとか言ってぇ……」 「いろいろと呼び止められてしまった……」  殺人犯を捕まえた張本人だ。捕まえたからそれでハイおしまいというわけにはいかない。  結局、状況の説明を求められた。が、同行した巡査が途中から引き継いでくれ、なんとか解放されたのである。 「なんかさ、サイレンの音とかすごくなかった?」 「あー、そうそう、凄い近くだと思うんだけど、ちあらは何も見てないの?」 「見に行きたかったなぁ」  二人はあの惨状を知らないから、事件と言うだけで見てみたいという野次馬的な気持ちが出てしまうのは仕方がない。 「見ても……面白いものじゃない」  だが全てを知っているちあらは首を振った。 「ふ〜〜〜ん」 「どうしたの、お姉ちゃん?」 「やっぱり、あのサイレンと関係があるんだ?」  こなみが冗談めかしてちあらの顔をのぞき込む。 「あ、い、今はもう大丈夫だから」  なんと返事すればよいか解らなかったちあらは、よく解らない言葉を返してしまった。 「あ、はぐらかした」 「外に出てはいけないと言ったのは、ほんとに何か危険が差し迫っていたから? そして、サイレンがたくさん鳴ったってことは、一応の解決を見た……?」 「え、なにそれ、怖い。事件が起きたってこと?」 「そうじゃなければ、こんなもの持ち歩かないわよね?」  そういってこなみはちあらの腰にささっている刀に手を伸ばした。 「!」  ちあらは素早くこなみの手を躱すと、そのままこなみの手を引っ張ると同時に、つんのめって一歩踏み出した足も払った。 「わ…きゃ……!」  見事にこなみが転ぶ。 「ちょっと、お姉ちゃん何やってんのよ?」  一瞬の出来事だったので、ななみにはちあらがこなみを転かしたようには見えなかったようだ。 「…………」  ちあらは無言で倒れたこなみに手を差し出した。  こなみは少し諦めたような表情をしながらも、ちあらの手をつかんで立ち上がる。 「な〜るほど、ただの巫女じゃないってことね……」 「コク」  それにはちあらは否定せずに、軽く頷いた。 「いつからそんな強い子になったんだっけ? 最初からじゃ、ないわよね?」 「わたしはまだ強くない」 「もっと強くなるってこと?」 「その必要があれば」  強くなることが求められるのであれば、いくらでも強くなろう。  その必要がなければ、これ以上は強くはならないだろう。  この先、自分がどうなるのかは、自分の知るところではない。 「なんだか変な答」 「巫女は神の意志に従うもの。わたしの未来を決めるのは、わたしじゃない」 「あ、そういうこと」 「もー、なんの話よ?」 「あたしたちのかわいいちあらが、どっかの神様にとられちゃったって話」 「は?」 「どこの神様かは知らないけど」 「大丈夫、こなみたちも会える」  何のことはない、自分は「黒翼の巫女」だ。黒翼は機巧屋に行けば誰でも会える。 「それはやめとくわ。今のところ、正義の味方みたいだし、ね」 「…………」  こなみは賢い。そして、本当に賢いから、深追いはしてこない。刀に触れようとしたとき。あの時のちあらの動きでこなみは様々なことを悟ったのだろう。 「でも、ちあらが何をしてようと、賽の目の一員には変わりないから」  こなみはこの小さな女の子をぎゅっと抱きしめると、そっと頭を撫でる。  不意の出来事に、ちあらは固まってしまい、うまく言葉を返せなかった。 「おねーちゃん、もう帰ろうよ。早く寝ないと、明日寝坊するよ?」 「はーいはい。じゃ、また明日ね」 「また明日……」  大きく手を振るこなみに、ちあらは少し恥ずかしそうに、小さく手を振った。  なんだかこなみが自分よりも何倍も大人に見えた。  悲しい思いも。  様々な試練も。  そして多くの生死にも関わってきたのに。 「まだまだ……かな」  二人の影を見送りながら、小さくそうつぶやくと、ちあらはちょっと寂しそうに空を見上げた。