一二月──。  晴れた空はどこまでも青く、雲はどこかに隠れてしまってまったく見えない。すがすがしいほどの、青一色な空。  それはそれで心地よいのだが、しかし、乾燥した日が続いていることも確かで……。 「ん……」  外に出る前にちあらはリップクリームを塗り直した。  試験休み。  いつもなら賽の目クラブに入り浸るところなのだが、今日はちあらなりの幸せ計画があった。  それは、鍋をすることである。  かねてから誰かと鍋を囲んで食べたいと思っていた。それは賽の目クラブの人たちでもよかったのだが、ちあらは何となく、鍋を囲むという幸せを、主である黒翼と分かち合いたいと思ったのだ。  少し高い食材も買おう…!  ちあらはそう思って、ぐっと拳をつくり、値段に負けないようにと心を強くする。  なぜなら日々のお賽銭で暮らすちあらは倹約の毎日であり、贅沢というものに慣れていないからだ。それでなくても最近青物野菜が高くて慎ましく暮らしているというのに……。  財布を確認する。  一六円しか入っていない。  だが慌てない!  最近、銀行口座も作り、メイドカフェでバイトしたお金をせっせと貯めているのだ。 「今夜は……贅沢、する!」  ちあらはもういちど自分に言い聞かせると、外に出た。  気温は低いがお日様は暖かい。  まずは銀行に行ってお金を下ろさねば。  ちあらが住む神社から銀行は近い。国道六号を数百メートル南下するだけである。  歩道を歩きながら、ちあらは買うべき食材をあれこれと考えた。  白菜、ニラ、ネギ、水菜、春菊、しいたけ、えのき。  お魚にしようか? それとも豚肉? 鶏肉?  つみれもいい。  さすがにカニは高そうだけど……牡蠣なら行けるかも。  モツも捨てがたい!  などとあれこれ考えるだけでも、とても幸せだった。  銀行に着くと、師走ということもあってかATMは行列ができていた。  まぁ、別に急いでいるわけでもない。じっくりと待とう。  なにせ今の自分にはスマートフォンがある。  いくらでも時間がつぶせるというものだ。 「あ……」  画面を見ると、ななみからLINEが入っていた。 『今日は来ないんだって? 明日は来る?』  明日も試験休みだ。そして特に予定もない。 『いく』  ちあらは、短くそう送る。 『んじゃ、明日クリスマスの飾り付けね。あと冬コミの原稿も待ってるわよ』 『ん、わかった』  そういえばもうクリスマスか……鍋も作りたくなるわけだ。  などと思う。  今年の文化祭は去年と同じカフェではあるが、ギャラリーも兼ねるため、カフェ要素がだいぶ減り、準備はそんなに慌ただしくない。  ツリーの飾り付けも、文化祭を意識してのものである。 『シモジマに買いだしとか行く?』  そういえば部室にはツリーもなければ飾りもない。 『たぶんねー。ウチで使ってたのとか持ってくるから、それ見て判断するつもり』 『うちの!? 何年前のだと思ってんのよ』  そこへこなみがチャットに入ってくる。 『別にいーじゃない』 『埃すごいし、ベタベタしてるって』 『掃除すればいいじゃない』 『電球もLEDじゃないし、エコじゃないと思うわけよ』 『要するにお姉ちゃんは新しいのが欲しいんでしょ?』 『というわけで、予算の計算はまかせた』 『あう』  などというチャットをしながらも、列は少しずつ少しずつ進んで行く。 『今、買い物に出てるから、必要なものがあったら買っておくけど』 『大丈夫、大丈夫。それにみんなで買いに行った方が楽しいじゃない?』 『わかった』  こなみのその答えに、ちあらも賛同した。  そこでちょうど良く自分が列の先頭となり、ほどなくするとATMの一台が空いた。  ちあらはそれを見つけると、とててと駆け寄り、袖から通帳とキャッシュカードを出そうとして、巫女装束でないことを思い出し、バッグから財布と通帳を取り出した。 「う〜〜……」  普段スマートフォンを使うようになったからといって、相変わらずメカはあまり得意ではない。  画面の「お引き出し」をタッチして、通帳を先にと思ったらページを開いてない。 「うう〜〜〜……」  もたくたと記帳されている一番最後のページを開いて機械に押し込み、キャッシュカードを入れる。  これでようやくお金が下ろせるというものだ。  暗証番号。  金額。  はて、高級食材とはいくらぐらいするものなのだろうか?  一万円で充分な気もするが……。  念のため二万円おろそうと決断する。 『に、まん、えん』  それぞれのボタンを押すたびに、心の中で復唱する。 『かくにん!』  最後のボタンを押したその時だった。  自分が入ってきたATM利用者のための小さな入り口ではなく、カウンターが並ぶ大きな入り口の方が急に騒がしくなった。  怒鳴り声と悲鳴。  同時に、パン!という乾いた音。  何か入り口の方で転がっていく人が見えた。  周囲にいた人達が一斉に出口に走ろうとする流れが出来る。  しかし、再びパンパンという乾いた音が鳴り、客たちの動きが止まった。 「ふわ…!」  ちあらの傍らでは、ぴぴー、ぴぴー、ぴぴーとATMがお金と通帳とキャッシュカードがまだ残っていることを示していたので、ちあらは慌ててそれらを抜き取ると周囲の人達に紛れて身をかがめた。  この師走のクソ忙しくクソ寒い時に、銀行強盗のようだった。 「動くな! 大人しくしていろ!!」 「おまえらが動かずにいれば、すぐに終わる」  賊は三人。両手に銃を構えているヤツ、がリーダーだろう。  他の二人は銃と、銃を持つ反対側の肩にはスポーツバッグをかけていた。  その二人が素早くカウンターに駆け寄り、スポーツバッグのファスナーを開けた。  見た感じ、銃はトカレフかな……。  グリップの太さ的にダブルカラムはないだろうから、八発かー。  チャンバーに一発残ってたら、九発。  犯人一人が二丁で、二人が一丁ずつ持ってるということは、最大で三六発。  マガジンの入れ替えは絶対にさせてはいけない。  わたしが一番近くの犯人と近接するのに八秒。制圧するのに一〇秒。次の一人に近づくのに……。 「むむぅ……」  頭の中でシミュレーションしても、三人を制圧するのに最速で一分はかかる。その間に三六発は撃ち尽くせてしまうだろう。となると死傷者は一〇人以上出るのは必至。下手したら二〇人超えるかも。7.62mm は貫通力も高いから撃たれた人の後ろの人にも当たる可能性がある。  特にみんな団子になってうずくまっているから、余計だ。  もちろんちあらには巫女としての魔の力がある。ホールドパーソンという金縛りをかける術があるが、しかしそれを行使するには立ち上がって呪文を唱えながら大きな身振り手振りが必要となる。その間約一〇秒。  そんなことをしてたら、撃ってくれと言っているようなものだ。  ここは大人しくしていた方が良さそうだとちあらは判断した。 「おい、待たせるんじゃねぇよ。一分経過するごとに、容赦なく殺していく。さっさと詰めろ!」 「おまえらのやり方はわかってるんだ。立てこもりに持ち込まれたら、こっちに勝ち目はねぇからな」 「五分以内に出なきゃ、意味がねーんだよ」  と言いつつ、最初の一分が経過し、一人が容赦なく女性行員の頭を吹き飛ばした。  行内に悲鳴とざわめきが響く。 「早くしろ!!」  そして別の行員の頭に銃口を向ける。 「は、はやく金庫をあけて……」  支配人とおぼしき人間の弱々しい声が聞こえる。  だがカウンターの方はちあらには死角だった。  周囲は頭をおさえて、じっとしている客達。  震えている者も多い。  とはいえ、自分の手の内を明かしてしまうというのもなんだかアホな銀行強盗だなぁと思う。だいたい今時銀行強盗とか、時代遅れも甚だしい。  あぁ、いや、そんなことを考えている場合じゃない。自分も同じように振る舞っておかなければ、と頭に手をやったまま、怯えているような表情をする。  ちあらはどんなポーズがいいんだろうと、ふと自分の周囲の人を見た。  すると左隣は年配の警備員で、他の人と同じように手を頭の上にやって、立て膝をついていた。  さらにその警備員が腰に警棒を携帯しているのを見つけた。 「ふむー」  ちあらはそっと腰をずらして警備員に密着すると、片手でその警棒を抜き取った。 「あ……」  警備員が何かを喋ろうとしたが、ちあらは首を横に振った。  警棒はご丁寧にチェーンが伸びていてベルトに止められていたので、それも外す。 パンッ!!  また銃声が鳴った。  二分が経過したようだ。  悲鳴と、おそらく撃たれた行員の名前であろう。一生懸命それを呼んでいる声がしばらく続いた。 「うるせぇ、同じようになりたくなかったら、お前もさっさと金を運べ!」  怒号と共に、何かがぶつかるような音──おそらく行員を暴行する音であろう──や花瓶が割れる音などが続く。  野蛮だなぁなどと思いながら、ちあらは警棒を自分のお尻の下にやって、また元のように両手を頭に乗せてじっと時を待った。  ちあらが小さな女の子だったからだろうか、この一連の行動は犯人たちには見向きもされなかった。そもそもこの広いフロアで三人は監視が行き届かない。しかも二人もカウンターにへばりついているのだから余計だ。  さらに言えば、銀行には二階以上もあるわけで、すでに二階の行員が通報しているだろうとちあらは思った。だとすれば五分以内に警察は来そうなものだが……。  警察が来る前に犯人達が逃げるようなことがあれば、襲撃しなければ。  だが、今は不味い。三人が集まったときがよい。そうすれば制圧時間は大幅に短縮できる。  しかも、できれば不意打ちが良い。  ちあらはそう決めると、じっとカウンターの方を見つめた。 *  *  * 「よーし、それで充分だ」  どれくらいの時間が経ったのだろうか?  いや、もちろん大した時間は経っていない。が、ちあらには結構長い時間のように思えた。  実際、周囲の客たちも同じことを思っただろう。  しかし銃声は三分目以降は聞いてない。  おそらく行員たちが下手な時間稼ぎをせず、素直に金を詰めるのに応じたからだろうとちあらは推測した。  犯人たちは二人がスポーツバッグを肩にかけ、二丁持っているリーダーの元に集まった。  ちあらはやったと思った。  しかしまだダメだ。  三人が銀行の外を向かなければ。  すると、スポーツバッグを持った二人が外に向かって歩き出し、リーダー格がその後ろに続いた。  先頭の二人が出入り口のドアをくぐるところまで、リーダー格は後ろ──つまり銀行内側──を気にしていた。が、出入り口を出ようとしたところで、前の二人にぶつかった。  どうやら前の二人は一度立ち止まって様子を見るか何かしたらしい。 「さっさと行け!」  とリーダー格がうざったそうに叫んで、前を向いた。  チャンス到来!  ちあらはケツの下に敷いてあった警棒を握って一気に駆け出すと、それを見ていた人達がざわめく余裕もなく、一瞬でリーダー格の男に追いつく。  そしてジャンプしてその男の頭に抱きつくように飛びつき、頭に全体重をのっけて後ろへ引き倒した。その時に首をひねるのを忘れない。  ブチッという感触がちあらの手の平に伝わる。筋肉か、腱か、血管か、とにかく何かが千切れたようだ。  リーダー格の男はそのまま後ろへ倒れていく。そのバランスが完全に狂ったところで、ちあらはその男を蹴っ飛ばして、さらに前にいる二人へと跳躍した。リーダー格の男は声を上げることもできず、その場に四肢を投げ出し豪快に頭を歩道にぶつけて大の字に倒れた。  前の二人の片方は異常に気付きはじめたところで、こちらを振り向こうとしていたところだった。  ちあらはその懐に飛び込むと、思いっきり股間を警棒でぶち叩いた。 「ぷきゃ!」  不思議な声を上げる犯人。そのままもんどり打って、股間をおさえながら倒れていく。  三人目。  さすがにちあらの襲来に気付いており、銃口をちあらに向けたところだった。  しかしちあらは動きを止めもせず、警棒で思いっきり銃を持っている手をぶっ叩いた。  拳銃を握る指の骨が砕ける確かな手応え。  同時に警棒がひん曲がる。  しかしそんなことはお構いなしだ。  銃を落とし、痛みの声をあげる犯人の顎を警棒で小突いて顎をあげさせると、頸動脈めがけて一気にひん曲がった警棒を振り上げた。  首の骨まで逝ってしまったのではないかと思うような爽快な音が、乾いた冬の空にこだました。  わずか二〇秒。三人の賊は歩道の上に倒れたまま、ピクリとも動かなくなった。  しかしまだ終わりではない。  ちあらは胸、ちょうど心臓の上辺りに右手を当てると、力を込めて叫んだ。 「勢波!!」(ハズミノナミ)  その叫びが終わると同時に「バチッ!」という何かがショートしたような瞬発的な音が聞こえたかと思うと、上の方からバンッという破裂音が響いた。  同時に信号の制御ボックスからも、ボンッという音が続く。  そして……この辺り一帯が停電した。  また通りがかった車も何台か電子機器がやられたらしく、立ち往生してしまう。そこへ数台が追突した模様で、けたたましくあちこちからクラクションの音が聞こえる。いや、信号が消えてしまったための事故かもしれない。  ちあらはおそらく自分に向けられているであろうスマートフォンなどのカメラを誤動作させるべく、ありったけのパワーの電磁波を放出したのだった。  その影響で電柱トランスや信号の制御ボックスなどにまで影響を与えてしまったのである。  ちあらはそれを確認する余裕もなく、目の前の今まさに発進しようとしている車のリアドアをあけると、乗り込んだ。犯人たちがすぐに乗れるように、案の定、ドアはロックされていなかった。  後部差席にきちんと座ると、ちあらは首をもたげ、バックミラーを見る。 「!!」  運転席の男が怯えるような表情を見せる。  既に車は発進したかとちあらは思ったのだが、運転手は一生懸命車を発進させようとしているだけで、一向に車が動く気配はなかった。 「ん……」  車種はハイブリッド車。  おそらくちあらから発生した強力な電磁波によって、機器がなんらかの影響を受けたのだろう。電源周りも損傷しているかもしれない。  ちあらはこの場のイニシアティブをとったことを確信した。 「あなたは人を傷つけてはいない。素直に自首して、あの三人の愚行をしっかりと説明する責任がある」  ちあらは落ち着いた声でそう言ったのだが、男は恐怖からか、それとも逃げることに一心だったのか、ドアを開けて外へと飛び出した。  浅はかだなぁ……と思うが、しかし追いかける気にもなれなかった。  そこへ後ろの事故を抜けてきた車だろうか?  けっこうな勢いで走ってくると、ちょうど飛び出したその男を跳ね飛ばした。  あーあ。  ちあらは呆れたように短いため息をつく。まぁ、追いかけて行動不能にする手間は省けた。  跳ね飛ばしたドライバーが慌てて出てきて、男になにか話しかけたりしている。  そうこうしているうちに、色んな所からサイレンの音が聞こえはじめた。  あとは警察と消防に任せた方が良さそうだ。  この状況を作り出したのが誰であるか、蔵前警察署というかこの近隣の警察署の人間ならすぐに解るだろう。おそらく数時間後には、自分に事情聴取の電話がかかってくるはずだ。  それよりも……! 「鍋の食材を買わねば」  お金はちゃんと下ろせたので、今度は買い物だ。  ちあらはサイレンが現場に到着する前に、いそいそと車から車道側に降りた。  現場は騒然としていたし、野次馬がかなり集まっていたが、さっさと道路を渡り、現場から離れた。 *  *  *  それから秋葉方向に五〇〇メートルほど歩く。  本当は肉類はいつも利用している肉屋で買いたかった。しかしその肉屋は銀行のある交差点のほぼお向かいにあり、野次馬や警察の展開などを考えると利用しない方が良さそうだった。  仕方ないので、一番大きなスーパーマーケットにいくことにしたのだ。  そこなら一つ一つの店を回らなくても、食材がすべて手に入る。  スーパーに入って、ようやく一息。  なんとなく気が立っていたことに気付く。  別に緊張したとか、そういうことはないが、これから楽しい鍋の時間を過ごそうと思っているのに、銀行強盗とか余計なことするんじゃないという思いが強かったのだろう。  犯人を制圧して、それでちあら的には終わったことになってしまった。  撃たれた人をケアするべきだったのではと、ちょっと思ったのだ。  特に命に関わる場合、消防よりも自分の方がうまく対処できたかもしれない。 「………」  いや、干渉しすぎるのもよくないと思った。  犯人を制圧しただけで、よしとしよう。  ちあらは自分の心でそう決めると、生鮮食品売り場へと足を運んだ。  さぁて、食材を決めながらのショッピングだと心を入れ替えたところに、ふと気になるものが目に飛び込んできた。  醤油、薄口醤油、白味噌、チゲ、キムチ、ちゃんこ、もつ鍋、坦々ゴマ……。  そう、鍋の割り下である。  何味の鍋にするか、決めていなかった……!  鍋の具になる様々な野菜の前に燦然と輝く、鍋の素たち。 「ふぉぉぉぉ……!」  どれも美味しそうだ。  味噌も捨てがたい……。もつ鍋……。寒いから辛いチゲや坦々ゴマもよさそうだ。  迷う……。  やはり贅沢という気持ちを味わいたい。  となると、貧乏なちあらの頭の中に浮かんだのは、カニ、牡蠣、すきやき(高級な牛肉)の三つだった。  野菜売り場の前を、ウロウロ、ウロウロ。  うー、カニは諦めるとしても、牡蠣かすきやきか悩む。  ただ黒翼はアレで実はけっこう小食。  テトメトはそもそも熱いものは食べられない。それに海産物の方が喜びそう……。 「うんむ」  ちあらは鍋の種類を決めると、野菜たちを買い物カゴへ入れはじめた。 *  *  *  あれこれと買っていたら、両手いっぱいになってしまった。  ちあらの細腕にはちょっとつらい。  小食だからそんなに買っていないつもりだったのだが、柚子や生姜、ゴマなどのちょっとひと味をくわえるものも買ってしまった。今まで買ったことがない岩塩まで。 「ふ、は、ふ、は……」  ちょっと歩いては少し休む。  いつもの倍くらいの時間をかけて、ようやく機巧屋の前についた。 「おや、こんな時間に」  機巧屋のドアを開けると、相変わらず中で黒翼が時計と格闘していた。  そんなに直すものがあるのかと、いつも不思議に思う。  ちあらは両手いっぱいのエコバッグとそれらに入りきらなかった買い物袋を椅子の上に置く。  少し汗をかいてしまった。 「お、何か美味しいものを買おうてきたのか?」  黒翼がぴょんと椅子から飛び降りると、嬉しそうに笑う。 「ん……鍋をしようと思って、いろいろ買ってきた」  ちあらはそう言って買い物袋に手を入れると、牡蠣をとりだし、胸を張った。 「おぉ……」 「なんぬ、どうかしたのかぬ」  そこへ、茶菓子とお茶を入れてきたテトメトが店の奥から出てきた。 「馬鹿者! 菓子など食うてる場合ではないぞ、テトメト!」 「なんぬなんぬ!? お茶にしたいと言ったのは、黒翼だぬー」 「コレを見ろ、テトメト」  黒翼がちあらの手からふんだくるように牡蠣の入った袋をとってテトメトに見せた。 「おぉ……牡蠣ぬ! 海のミルクぬ! 天然のフォアグラぬ〜!」 「大粒でぷりっぷりだ。こっちは小粒だがツヤがいい。広島産と三陸産とみた」  黒翼が本当に嬉しそうに牡蠣をマジマジと見つめる。 「とは言ったものの、牡蠣はあんまり吾の身体に良くないぬ」  テトメトは少し残念そうだ。 「大丈夫、白身魚も買ってある」  ちあらは得意顔のまま、今度は鯛を出して見せた。 「ふぬー!!」  テトメトの口元からよだれが自然と漏れる。  とりあえずこの一人と一匹がお気に召す食材は用意できたようだとちあらは安心した。しかし、この一人と一匹の普段の食生活となると、実は謎に包まれている。  茶菓子を食べているのはよく見るが、実際に食事をしているところを、ちあらは見たことがない。 「いろいろ買ってきてから言うのもおかしいけど……調理できる所ってある?」 「ちゃんとあるぬー」  テトメトは店の奥へとちあらを案内した。  機巧屋の入るビルは雑居ビルである。どうせあってもオフィスに備え付けてあるような簡易的なものだろうとちあらは想像していた。  だが鍋一つ温められればいいわけだから、それで問題はない。  売り場の奥はすぐに階段になっていた。その予想外の作りにちあらは少し驚いた。  明らかに階段の段差とテトメトの足の長さはあっていないのだが、テトメトは小気味よく階段を上っていく。  後に続くと登った先にはダイニング、キッチン、リビングがちゃんと揃っていた。そして寝室とおぼしき部屋も。とはいえそこはドアが閉まっていて何の部屋かは解らなかったが。 「こっちぬ〜」  テトメトはキッチンに案内すると、土鍋を出してきた。 「おー」 「鍋を囲んで食べるなら、カセットコンロの方がよさそうだぬ」  テトメトはキッチンの上の棚を開けると、カセットコンロを取り出した。 「包丁も、まな板もあるぬ。食器はこっちに取りそろえてあるぬ」  包丁は自分が使っている刀と同じ紋が掘ってあった。あの刀鍛冶に作らせたのか……と、ちょっと頭がクラッとする。  食器もどれも高そうなものばかり。 「これで充分かぬ?」 「ありがと、充分」 「ぬふ、それはよかったぬ。二階で食べるなら、店を閉めるた方がよさそうだぬ。黒翼様に相談してくるぬ〜」  そう言ってテトメトは下へと降りて行った。  そういえば黒翼は睡眠を必要としないことをちあらは思い出した。  ということは機巧屋は二四時間営業しているのか……と思った。 「あ、エプロンがどこにあるのか聞くのを忘れた……」  ちあらは食材をテーブルに並べてから、そのことに気付いた。  どこかにあるだろうか?  と、テキトーに引き出しをあさってみるが、それらしいものはない。  もともと調理しなさそうな一人と一匹である。  でもそれにしては調理器具は充実している。  が……。 「使った形跡がない……」  これだけ立派な包丁や食器が揃っているというのに、どれも新品だ。  さらに言えばダイニングのテーブルセットも、ほぼまっさらだ。あの一人と一匹は本当にあの時計のある売り場だけにいるのだなと思った。 *  *  * 「煮たって…きた…! もうだいたい食べられると思う」 「おぉ……椀をもてい!」 「ふんぬー!」  黒翼の号令一下、テトメトとちあらも椀を手に持ち、箸を構える。 「おつゆは薄め。味がたりなかったら、味噌、ぽん酢を自分のお椀に足す。薬味は胡麻、生姜、柚子、ネギとかいろいろ用意した」  小さな小皿に色とりどりの薬味が用意されている。  至れり尽くせりだ。 「どれどれ、まずはスープを……」 「吾は冷まして食べるぬ」 「猫だから仕方ない、お魚は鯛と鱈が入っている」 「ありがたいぬ」  それからしばらくは、鍋の音で部屋が満たされた。  鍋から具をよそう音。  はふはふと熱い具を食べる音。  テトメトのふーふーというお椀に盛られたものを冷やす音。  箸の音。  ぐつぐつと煮立つ鍋の音。  身体が温まる。  部屋は蒸気でもくもくだ。 「うむ、うまい」  不意に黒翼がぼそりとつぶやいた。 「それはよかった」  ちあらは嬉しそうに笑う。 「しかし、どうして鍋を?」  白菜を食みながら、黒翼がちあらを見つめた。 「ん……わからないけど……なんとなく、鍋をしたら幸せな気分になれるかなと思って」 「ふむ……」 「しあわせだぬー。鱈の身が柔らかくてほっぺたがとろけそうぬ〜」 「幸せを探したかった?」 「ん、どうだろ……そう、かも」 「別に不幸でもあるまい」 「コク」  ちあらは頷いてから、少し考えた。 「でも、幸せに思う気持ちは、多いに越したことない」  どうして幸せな時間を過ごしたいかという理由を述べた。 「なるほど」  黒翼が納得して、笑みを浮かべる。 「あったかいお魚もいいものだぬ」 「最近缶詰おおかったしね」 「そうぬ、黒翼様は調理しないから、既製品ばっかりぬー」 「だと思った」  この一人と一匹の食事事情は、ちあらの想像した通りだった。 「ま、食わなくても生きていけるからね」  黒翼は笑う。 「でも、美味しいものを食べるのは、心地いいものぬ〜」  別に食わなくても生きていけるものの、美味しいものを食べると言うこと自体はこの一人と一匹にも幸せに感じるようだった。 「そうそう、昼間はご苦労様」  不意に黒翼がニヤついた。 「昼間?」 「銀行」 「あ……」  そういえばあまりの鍋のおいしさに、銀行でのことを忘れていた。  ちあらは慌ててスマートフォンの着信履歴を見た。が、警察からの連絡は入っていなかった。 「大丈夫、警視庁からはわたしの方に問い合わせが来たから」 「ほ……」  ちあらは安心する。 「駆けつけた警察官によって制圧されたということにしてもらった。目撃者から異論は出そうだけど、そこは警察の力にまかせよう」 「ん」 「信号機や変圧器を壊したことは黙っておいた。ま、彼らでも解らないと思う」 「ありがと」 「犯人は皆重傷だけど、命に関しては心配するには及ばない。ちょっと過剰防衛ではあったけど、銃を持っていたし、問題ない」 「よかった……」 「被害者は二人死亡、一人意識不明の重体。重体の行員は頭を撃たれてるから、回復しても後遺症は残るだろうね」 「そう……ちょっと鍋を囲んでいるのが悪いような気もする」 「そう?」 「そう、でもない?」 「悲しいことと喜ぶべきことが同時に起きてしまうのは別に珍しいことじゃない。人が亡くなっていく瞬間にも、誕生する命はある。その命の誕生を、人が亡くなっているからと言って喜ばないのはおかしい」 「ふむー」 「ま、確かに? 人が死んでいるのが解っているのに、鍋をするちあらの肝っ玉もどうかとは思うけど」 「あう」 「けど、あの銀行強盗がなければ普通に鍋が楽しめていたという事実もある」 「コク」 「だから、わたしはそんなに気に病む必要はないと思うけど?」 「コクコク」 「そもそも、わたしたちと亡くなった人になんの関係もない。そんなことでいちいち喪に服していたら、わたしたちは死を感知するたびに喪に服さなければならなくなる」  そんなのは面倒くさい。  という黒翼の気持ちは、その声と態度ですぐに分かった。 「黒翼?」 「なに?」 「撃たれた人を救うことは……してはいけない?」  ちあらはふと思いついたので、聞いてみた。  亡くなった人を生き返らせるのは、まだちあらにはできないが、撃たれた人を後遺症なく治癒することはできるはずだ。 「さぁ?」  だが、黒翼の答は予想に反したものだった。  イエスかノーと思ったのに……さぁとは……。 「どういうこと?」  ちあらは素直に疑問をぶつけた。 「人を生き返らせる力があるなら、したかったらすればいい」 「じゃぁ……」 「けれど、死んだということはその魂魄はこの現世から別の場所へと管理が移ると言うこと。そして生き返らせると言うことは……」 「その管理を、此方へと戻すこと」 「そう。ただ生き返らせればいいというわけじゃない。その責任が持てるなら、生き返らせればいい」  それはちあらにはよく解らない事案であった。  肉体と精神の魂である魂魄は、生きている間は本人のものだ。もちろんその者が何かを信仰していた場合、信仰していた相手が加護したりするし、守護神や守護霊がいる場合も、同じように魂魄に影響を与える。  しかし、死ぬとその魂魄は本人のものではなくなり、信仰していた相手や守護者、もしくはその死んだ場所を支配している神預かりになる。したがって生き返らせるには、それらの者から何らかの許可をもらうか、ムリヤリ奪うことになる。 「じゃ、じゃぁ、傷を癒やすことは……?」 「それも、好きにすればいい。人を生き返らせるよりハードルは低いしね」 「ふむー!」  じゃぁせめて、重体の人を治してあげよう。  ちあらはそう思った。 「ちあら?」 「なに?」 「死は、非可逆。それを忘れてはいけない」 「非可逆……?」 「生きていれば、失ったものすべてを取り戻すことは難しいとしても、少しでも取り戻せるチャンスはあるし、失ったものよりももっと価値あるものを得られるチャンスもあるけれど……死は、そのいずれも許容しない」 「言いたいことが解らない……」 「軽々しく、生き返らせるなどということは言うべきではないってこと。たとえそれが可能であったとしても、ね」 「あ……」 「わたしたちは人を超える力を有しているけれど、それゆえに好き勝手に使っていい力じゃない。思ったら、次はまずよく考えて」 「はい……」  ちあらは自分が浅はかだったことに気付き、すこし意気消沈した。  そんなちあらを見て、黒翼は優しく笑うと、そっとちあらにメモを渡してくれた。  そこには住所と、そして病院名、さらに患者の名前と病室が書いてあった。 「まだ集中治療室にいる」 「黒翼……」 「治したいと思うなら、行ってみるといい。たぶん、色んなことが、解る」 「あ、ありがと……」  この時、ちあらは誤解していた。  治癒したいという気持ち、思い。それが黒翼に認められたのだと。  ちあらはそう思ったのだ。 *  *  *  翌日、ちあらは授業が終わると、すぐに学校を飛び出した。 『あれー? ちあらどこにいるのよ?』  LINEにはななみからそんなメッセージが入っていた。  確かに今日はクリスマスの飾り付けをすることになっていたが、しかし、 『ちょっと遅れる』  とだけ返信したちあらは、すでにお茶の水に立っていた。  しかし病院という所は……。 「うー……むー……」  あまり好きな場所ではない、ということが解った。  当然である。  ありとあらゆるネガティブな情報が、ちあらの脳に勝手に届くからだ。  痛み、苦しみ、悲しみ、絶望。  もちろん病や怪我を克服しようとする強い気持ちや、励まし、やる気、回復したことによる喜びなども感じはするが、ネガティブな感情の方が圧倒的に強かった。  そして病院に巣くう様々な負の存在。  ちあらはそれらを無視して、病院へと入った。大病院ということもあるせいか、誰に咎められるでもなく、ちあらは病院の中に入ることが出来た。これはこれで問題のような気もしつつ……エレベータに乗り込む。  建物が巨大なので、案内板を確認しながら移動する。  その間にも様々なものがちあらにまとわりつく。それらは患者にとりつく邪鬼の類もあるが、それよりも多いのは守護霊の類だった。自分の手には負えず、守護すべき患者を守り切れなかった霊たちが、ちあらにすがりつくようにまとわりついた。  そういった守護たちの患者は、単純な病気や怪我ではなく、呪いや他の力ある魑魅魍魎や神などによって健康を奪われており、守護の力が及ばないのだ。  おそらくちあらの霊的な力を感じ、寄ってきたのだろう。  ただ、ただ、ちあらはここに来たことをとても後悔した。  そして黒翼が怪我を治すことさえも、あまり乗り気ではなかったことをようやく理解出来た。  そしてそれは当然のことなのだと言うことも。  この病院の中に、どれだけ癒やしを必要としている人達がいることか…!  しかしちあらはその中のただ一人だけを癒やしに来た。  この病院には同じように癒やしを求めている人達がたくさんいるというのに。  もちろんちあらの手に負えない人もいるが、少し術を使えば治る人もいるわけで……。  何故、一人だけ癒やすのか?  他の人はいいのか?  いや、みだりやたらと力を使うものではない。目的の人物だけ癒やすのが正しい力の使い方だ。 「………」  色んな考えがちあらの頭の中をぐるぐると駆け巡った。  自分には人を癒やす力がある。まだ医学でも到達できていない領域についても、癒やすことができる。  けれど……。  この病院にいる人全員を癒やすことは、正しいことなのだろうか?  救済という意味では正しいことなのだろう。なぜなら、そもそも病院の目的とは、来院するすべての患者を治すことなのだから。  だから自分も、この持てる限りの力を使って、この病院にいるすべての人を癒やすことは、間違いでは……ない……はず。  でもそうなってくると、病院はここだけじゃないという話にもなってくる。  日本全国に、いや、世界にいったいいくつの病院がある?  そもそも病院に来られない患者もいる。 「う……」  考えれば考えるほどキリがない。 「今は……あの人のことだけ考える」  ちあらは思考をいったん止めた。  今日はあの銃で撃たれた行員を癒やしに来たのである。病院にいる人すべてを癒やしに来たわけではない。  ちあらは自分の心にそう言い聞かせると、目的の場所へと歩き出した。 *  *  *  目的の集中治療室に来ると、警官が二人立っていた。  そのそばで医者らしき人物と話しているのは、おそらく刑事であろう。 「こんにちは」  ちあらは話している刑事の方に声をかけた。  刑事はちあらに気付くと軽くあいさつし、医者にここに来たもう一つの用事があることを告げて、ちあらを医者の前に引っ張った。 「今、容態を説明したじゃないですか。面会なんてもってのほかです。そもそも会話などできません」  医者は苛立ったような、呆れたような表情をした。 「別に事情聴取するわけじゃない。ただ見るだけだ、見るだけ」  刑事はそう言うとちあらを集中治療室の中へ通そうとした。 「ちょ、ちょっと、何勝手に……!」 「まぁまぁ」  刑事が医者を諫めている隙間を通って、ちあらは集中治療室へと入っていく。  運良くここは無菌などを必要とする施設ではなく、ちあらは紫外線とアルコールの除菌だけ済ませると、目的のベッドに向かった。  患者に近づくと、特に負のオーラは感じられなかった。死を招くような運命に縛られているとか、呪いがかかっているとかそういうことはなさそうだ。ならば単純に彼女の脳を元に戻してあげれば良いだけである。  今、この人の脳の中では何が起きているのか、ちあらは彼女の意識に潜り込む。 「あ……」  気付くとちあらは電車に乗っていた。  ドアの上部にある方向幕を見ると西馬込駅行きだというのが解る。たしか浅草橋駅を通る電車だ。  車内はかなり混雑しており、それは通勤ラッシュのように思えた。  ただ、車内はとても静かだった。電車の音さえも、聞こえない。  しかし、車内アナウンスだけは聞こえてくる。  蔵前橋駅に到着した。  次は浅草橋だ。  ちあらはようやく座席に座ってスマートフォンをいじっている行員を見つけた。  出発のジングルが鳴り、ドアが閉まり、そして車両が加速していく。  蔵前橋と浅草橋はそんなに離れてない。  すぐに次の駅のアナウンスが流れる……はずだったが、電車は何のアナウンスもなく、次の駅で止まった。  ドアが開く。  浅草橋駅だ。  客はピクリとも動かない。ただ黙って、電車の出発を待っている。  ちあらは思い切って行員に話しかけてみた。 「この駅で、降りないの?」 「え?」  スマートフォンに没頭していた行員が少し驚いたような、そして怪訝そうな表情をして顔を上げた。 「この駅は、あなたの勤め先のある駅」  ちあらは言葉を続ける。 「この駅、名前しらないの」  だが行員はそう答えると、またスマートフォンへ視線を落とした。  確かに駅名標には本来あるはずの『浅草橋』という文字が書かれていない。真っ白だ。しかし両隣の駅名はそれぞれ書いてある。 「ここは、私の降りる駅じゃない」  女性はスマートフォンをいじりながら首を振った。  電車は音もなくドアが閉まり、そして音もなく次の駅へと加速していく。  しばらくすると、電車はいつの間にか始発駅である押上駅に戻っていた。  車内にいた客は消え、ちあらだけになる。  が、ドアが開いたかと思うと、客がどっと乗ってくる。その中に例の行員はおり、先程と同じ場所に座る。  そうこうする間にどんどんと客が乗り込み、車内はまた満員になった。  そして電車は発車し……また浅草橋駅に着くが、やはり駅名標は空白だった。 「ここで降りなくていいの?」  ちあらはもう一度話しかけてみる。 「え?」  先程と同じ反応。  どうやら彼女の頭の中では、通勤の風景がずっと繰り返し流れているようだった。  それが脳のどこで起きていて、実際にこの光景を彼女が脳の中でずっと見続けているかどうかも解らないが……脳が作り出したこのくり返される光景は、少なくとも浅草橋で降りてはいけないということを示唆しているのだろう。  ちあらは何となくそう思った。  それから彼女の意識から離れ、脳全体を俯瞰する。  記憶はいくつか欠損。これを治すことはできない。この行員の人生すべてを知っていたら補うことはできたかもしれないが……。  運動野、感覚野、視覚野などなど大雑把な脳の機能をサーチしていく。ちあらは脳のどこに何の機能があるのかは分からないが、自分と同じ働きをする部分と比較することによって脳のすべての機能を探索することができる。  ダメ、無事、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、無事……。  ダメなところがあったらさらにその深い部分に入り込み、ダメな部分と無事な部分をより分けていく。その分岐は何億にも及ぶがちあらはどんどんと分け入っていく。  最後に外科的な治癒を施す。いわゆる頭蓋骨や髄膜、くも膜などの修復、それに伴う各種髄液などの液体の補充とそれらが漏洩した部分の除去などなど。 「ん……」  ちあらは修復を終えると、軽く頷いた。  最後にもう一度、行員の脳全体をサーチする。どこに引っかかることもなく、全体が機能しはじめているのがわかる。ただ、かなり急いで修復したので、細かい所を見るとまだ機能していない部分もあるのだが、それらは次第に他の部分と繋がっていくだろう。  戻せなかったのは記憶ぐらいか……。  ちあらは医者に近づくと、施した内容を告げた。 「脳の機能はすべて回復したと思う。でも記憶の喪失や運動機能の一部欠落があるかもしれない。リハビリはしっかりとして。物理的に損傷した部分はすべて元通り」 「………」  医者は少し納得していないようだった。  が、医者の中には自分と同じように魔の力を使う者もいることをちあらは知っていた。この医者がそうなのかどうかは解らないが、これだけの大病院ともなればそういう医者もいるはずで、目の前の医者もちあらのしたことが摩訶不思議なことではないと思っていることを、ちあらは願った。 「先生、先生……! 患者さんが意識を……」  不意に看護士が驚いた声で医者を呼んだ。  そこで医者の固い表情が初めて緩んだのを、ちあらは見逃さなかった。 「やたったな」  刑事が嬉しそうにちあらの肩を叩く。  なんだか刑事のその言葉が少し気持ち的に救われた。  本当にこの行員を癒やしてよかったのかどうか、自信が持てなかったから。 「そ、それじゃぁ」  ちあらははにかみながらも、ぺこりとあいさつをして早足に病院を後にした。  医者も刑事も、特にちあらには深追いをせず、解放してくれた。 *  *  * 「どうだった?」  機巧屋に戻ってきたちあらの表情を見て、黒翼が意地悪い笑みを浮かべた。 「つか……れた……」  ちあらは素直に心境を吐露した。 「人を治癒する能力があるからといって、それを誰にでも彼にでも使っていたのでは、キリがない」 「う……わたしが、浅はかだった」 「そうでもない。目の前で誰かが困窮しているとき、それをなんとかしてあげようと思うことは、自然に思う人間の気持ち」 「あ……」 「けれど、わたしたちは人を治すことができてしまう。それこそ、全世界の人々を病気と怪我から救い出すことは可能かもしれない」 「撃たれた人を癒やしたとき、他の人はいいのかっていう気持ちがすごく湧いてきて……病院を出るとき、他の患者を見捨ててしまったような気になった」 「いつまでも、人の感覚でいることはできない」 「!」 「ちあらは、もう、ただの人ではないからね」 「………」 「少し、不幸の意味がわかったかな?」 「あ……」 「そして少しずつ少しずつ残酷になっていく。正確に言うと、鈍感になっていく……かな」  黒翼は相変わらずの意地悪な微笑みを崩さなかった。 「鈍感に……」 「そうなることを、止めることはできない」 「まだ、実感がない」 「そのうちイヤと言うほど実感する」 「黒翼は?」 「ん?」 「黒翼はどうだったの?」 「残念だけどわたしは人であったことはないし、人から今の自分になったわけじゃない。だから……」  ここで黒翼は言葉を切ると、ちあらから視線を逸らした。  何かに引っかかったような、いや、言いたくないことでもあるような、そんなふうにちあらには見えた。 「だから?」 「訂正。この世界においては、わたしは初めから人間ではないから、が正しいか」  黒翼はそう言い直すと、少しはにかんだ。  黒翼にしては珍しい表情だった。  ただ、その言葉の意味は、ちあらにはよく解らなかった。  この世界においては。  他の世界では人間だとでもいうのだろうか?  それとももっと他の……人智を越えた何かなのだろうか? 「だから、ちあらの参考にはならない」 「そう……」 *  *  * 「もー、結局ちあらが来なかったから、飾り付けとか進まなかったじゃないのよー」  こなみが頬を膨らませながらも、コタツの上のみかんをほおばっている。  いや、その頬の膨らみは、みかんではないのか、とちあらは思う。 「ご、ごめんなさい」  しかし、行くと言って行かなかったのだから、非はこちらにある。 「どこに行ってたのよ?」 「ちょっと、病院に……」 「あら、どこか悪くしたの?」 「ちがう、お見舞い」 「よかった、ちあらが何か病気とかしたわけじゃないのね」 「コク」 「誰のお見舞い?」 「知らない人」 「はぁ?」  いや、違うか、今なら名前も解るし、脳内に入ってしまったため、どんな人かも解っている。  が、赤の他人に違いはない。それに向こうはちあらのことを知らないだろうし。 「最近ちあらが不思議ちゃんになってる気がするー」 「そう? 元から不思議ちゃんだと思うけど?」 「そうかなぁ」 「人と違うことは、自覚してる」 「それは、あたしも解ってるつもりよ」  こなみが優しく頷く。 「お姉ちゃんだって、充分変人だっての」 「なんだとー!?」 「類は友を呼ぶ」 「ちょっとまって! それだとあたしまで変人になっちゃうじゃない!」 「あたしの妹に産まれてきた以上、覚悟せいー」 「やーだー! あたしは普通でいたいの〜」 「賽の目クラブ自体、変人の集まりじゃないのよ」 「そ、そうかなぁ……」  ななみは納得しないご様子。  だが、ちあらはわりと納得した。 「完璧超人の桜織に、レズピアニストの十和子もいるし」 「レズピアニスト……」 「まぁ、ほんとにレズかどうかは知らないけど」 「レズピアン?」 「誰がうまいこと言えと……」 「ななみは?」  ちあらはななみをなんとなく見上げた。 「え?」  確かにななみはコレといって何が得意というか、キャッチフレーズがない。 「な、なんか、あたしだけ仲間はずれみたい」 「確かに、ななみにはこれといったタレント(才能/特筆すべき特徴)ってないわねー」 「カレシがいる」  ちあらは、はたと思いついたようにつぶやいた。 「あ、そうだった! コイツだけ抜け駆けしやがって」 「ええ!? そこに当たる!? そもそも彼氏がいるってタレントになるの?」 「賽の目クラブではなるのよ!」  と怒り気味に言うこなみに、あー、それはそうかもとちあらは思った。  賽の目の部員たちはみんな能力も高いし見た目もいいのに、彼氏持ちはななみだけだ。  自分に彼氏ができないのは当然だけど……と、ちあらは心の中で付け足す。 「あー、このまま処女で高校卒業とかしたくないー」  こなみがちゃぶ台に突っ伏してそんなことを言う。 「そこ!?」 「ふむー……」  処女のまま高校を卒業したら、かっこ悪いのかな。  よくわかんないなー。  と、ちあらは思った。 「その点、ちあらはいいわよねー」 「どうして?」 「どう見たって子供にしかみえないし、むしろ処女の方が重宝されそうだし」 「………」  褒められてるのかけなされているのかよく解らないので、ちあらは返答に困る。 「なるほど、お姉ちゃんみたいに能力値が高いと処女をなかなか捨てられないってこともあるのね……」 「うるさい!」 「それなら桜織も当分は処女かも?」 「どうかしら? 桜織の場合、許嫁とかいそう。あと親が決めた結婚相手とかいそうじゃない? 桜織の意志に関係なく」 「「あー」」  ななみとちあらがハモった。 「すると処女なのはお姉ちゃんだけかー」 「なむー」 「ちあらに同情されるいわれはないっ」 「十和子は? あの子、ちょー奥手だし」 「十和子はねー、騙されてコロッとやられちゃう可能性が残ってるのよ」 「「あー」」  またななみとちあらがハモった。  っていうか、この会話、何? と、ちあらは思う。 「ま、桜織が全力で守ってくれそうな気もするけどね」 「十和子もお喜びね」  だからこの会話、何?  ちあらはついて行けないので、黙ってお茶を飲む。 「明日はちゃんと来てよ、ちあら」  そんなちあらに、こなみは視線を移すと、念を押した。 「ん、大丈夫、もう用事はない」 「それを聞いて安心したわ」  こなみは嬉しそうだ。 「飾り付け、楽しみ」 「巫女なのにクリスマス祝っていいの〜?」  ななみがニヤニヤする。 「まーた、しょーもないことを……そんなことどうだっていいじゃない」  こなみが呆れたように、ため息をついた。 「んー……」  この神社の神はとっくの昔にいなくなってしまっていて、今祀られているものの実体はない。  敢て言うなら、黒翼に仕える巫女がいる神社なのだから、黒翼が祀られていることになるのかもしれないが……アレは聞くところによると天使だという。  天使と言うことはキリスト教ということでいいのではないか?  日曜に礼拝とかしてないけど。  結局、よくわからない。 「この神社の神様は、特にそういうことに拘らない」  ちあらはテキトーに答える。が、まぁ、間違ってもないだろうと思った。 「ふーん、フレキシブルな神様なのね」 「神も仏も認める国だし? 目出度いことなら何でもいいんじゃない?」  クリスマスが目出度いのかどうかはさておき、まーそんな感じ、とちあらも首を縦に振った。 「そうそう、賽の目クラブでは話題にしたんだけどさ」 「昨日、浅草橋で銀行強盗あったの知ってる?」  双子がちょっとワクワクしたような表情をして、昨日のことを切り出してきた。  野次馬の感覚なのだろう。  あの場にいれば、そんな表情はできないとちあらは思ったが、あの場にいた野次馬たちも同じ程度の感覚なのかもしれないと思った。少なくとも、彼らはカメラを構える余裕はあった。  さて、どう答えたらいいものか。 「現行犯逮捕だってねー」 「でも二人も撃たれたんだよね」 「犯人がつまかったのなら、なにより」  ちあらは落ち着いて、頷いた。 「あら、それだけ?」 「何?」 「ちあらも関わってるのかなって……ちょっと思っただけ。ちょうど賽の目に来てなかったし」  こなみはちょっと残念そうだった。以前、女性が刺された事件があった時、ちあらが出掛けていったのを憶えているのだろう。 「関わっていたとしても、何も言えないと思う」 「そっか……」 「じゃぁ、関わってる可能性もあるってことね」 「さぁ……」  ちあらは否定も肯定もしなかった。そのように黒翼から教えられたからだ。  自分がやったことでも他人がやったことでも、肯定も否定もしない。してしまうと自分が関わったことが明確になってしまう。どんなことであれ、自分はノーコメントを貫く。 「んー、じゃぁこの話題はヤメ! なんか盛り上がりそうにないし」  こなみがわーっと両手を振って、話題を取り消した。  いつの間にか賽の目クラブのみんなに秘密にしていることがあることに、ちあらは気付く。  メイドカフェでバイトしていることと、警察の協力者であること。  ちあらは警察官としての資格はないが、警視庁と契約関係にはある。これはそもそも黒翼が都と交わしているもので、公安委員会の協力員という立場をとる。消防団の警察版とも言うべきもので、一般市民ではあるものの、地元の治安に関して積極的に関与する権利を与えられている。  何か事件を解決するようなことや警察への大きな貢献をすると寸志をもらえることもあるらしい。おそらくちあらの活躍によって、黒翼の懐には幾ばくかのお金が入っていると思われる。  もっとも、ちあらはまだ知らないが、黒翼が都にいることの方がはるかに意義が大きいが……。  このまま秘密の方がいいのか……それともいつか、打ち明ける時が来るのか。  もっともメイドカフェでバイトしていることは、別に喋ってもいいことだと思った。  茶化されたりするだろうという点を除いては。 「何か面白いことないかなぁ〜」 「お姉ちゃん、すっごい投げやり」 「文化祭も今年はそんなに気合い入ってないし……」 「あたしたち受験生だしね……」 「相変わらず冬コミの原稿もあるし……」 「桜織は受験関係なさそうだったよね」 「あのままずっと漫画家やるつもりなのかしら?」 「飽きるまではするんじゃない?」 「同人誌も?」 「たぶん……?」 「柳橋家はどう思ってるのかしら……」 「いい所の大学は出なさいとは言われてるみたいよ?」 「へー。ま、桜織なら成績的には問題ないと思うけど、〆切と試験日が重なったら、ぜったい試験をぶっちしそう」 「あははー。でもそんなことしたら、笑って済ませられないと思うけどなぁ」 「なんかコネとかあるんじゃないのー? お金持ちはさー」 「お姉ちゃん、卑屈ー。金持ちだからって何でもできるわけじゃないと思うよ?」 「どーだか」  どうもこなみはお金持ちに何か負の感情を持っているようだった。 「十和子はどうするって?」 「音大行くみたいよ? もうどこか決めてて、学力的には問題なくて、あとは実技の試験だけみたい」 「じゃぁ、ひたすら練習あるのみってことかー。学費も桜織が面倒見るんでしょうね」 「やっぱそうなのかな。桜織、ピアノだけは十和子にべた惚れだもんね」 「そもそも十和子のピアノの腕は、もう十和子のものだけじゃないってこと」 「ふへ? どういう意味?」 「なんていうかなぁ、大袈裟に言えば演奏家として日本の芸術を背負う一人になるから、お金がなくてその才能が廃れるなら、ちゃんと学校に行かせてあげようみたいな?」 「なるほどねー。十和子がまさかそになに凄い弾き手だなんて…!」 「奨学金の申請もしてるんじゃない?」 「あーあ、なんかそうやって聞いてると、あたしだけとりえないなぁ……」 「だからななみには彼氏がいるでしょー?」 「それって別にあたしが凄いわけじゃないし」 「あたしなんて努力したってできる気もしないわよ」 「誰でもいいなら、お姉ちゃんはすぐ出来ると思うけど? 誰でもいいなら」 「桜織ぐらいできる人間じゃないと……」 「そんなのそうそういないと思う。あ、でも、いい大学行けばいいんじゃない? それこそ東大とか!」 「そんな安易な……」 「普通の大学行くより確率は高そう」 「んー……」  この二人は、いつも一緒にいる割に、話題は尽きないのだなとちあらはボーッと二人を眺めながら、思った。  家でもたぶん話はしているだろうし……賽の目クラブでも二人は話をしている。  よくそれだけ話題があるものだ。 「なに?」  こなみがちあらの視線に気付いて、ちあらの方を振り返った。 「ん……会話を聞いてただけ」 「ちあらも入ってきなさいよー」 「話題がない。いつまでも尽きない二人の会話を聞いて、感心していた」  ちあらは目をぱちくりさせた。  自分は教室にいても誰とも話さない。先生に指されたときや日直になった時に事務的に喋るくらいなものである。  賽の目クラブに入って、ようやくこなみたちと話すようになったのだ。 「ま、元からあんまり口をきかない子だったわね」 「コク」  話すのはめんどうくさい。  その人が何を考えているのかまでは解らないが、しかし、どういう感情を抱いているかはだいたいわかってしまう。  それだけでクラスメイトと話すようなことはないとちあらは知った。  賽の目クラブで交わされる会話も、他愛のないものばかりだが、賽の目クラブの部員たちは一癖も二癖もあるので会話についていく気になるのだ。 「ちあらはなんか話題ないの?」  こなみが何となく聞いてみる。 「ふむー……」  ちあらはしばし考えた。 「ちあらから話題を振ってるの見たことないし、なんか喋ってよ」  ななみも興味津々だ。 「それじゃぁ……男の人はどんな女の人といても嬉しそうなのが、不思議」  そしてふとバイト先でメイドをしていて思ったことを、ポロッと口に出した。 「「は?」」  今度はこなみとななみがお互いを見合わせて、目をパチクリとさせた。  あれ、そんな変な話題だっただろうか?  と、ちあらは思う。  恋愛の話の延長みたいな話題だとちあらは思ったのだ。 「えー、女子だってカッコイイ男ばっかりずらっと並んでたら、目移りしちゃう!」  反応がよかったのは、ななみの方だった。よだれを垂らしかねない勢い。  おそらくななみの頭の中では美男子がずらーりと並び、ななみを手招きしているのだろう。 「あたしはそこまで無節操にはできないわー。ある程度どんな奴かわかんないと……」  一方、こなみは慎重だった。 「でもそんな話題をちあらが振ってくるとは予想外だったわ」  こなみはずずいっとちあらに近づいた。 「たまってるんじゃない?」  そしてニヤつく。 「たまってる?」 「彼氏が欲しくてたまらないとか」 「思春期だもんねー」 「あたしだって彼氏欲しいわよ」 「だからお姉ちゃんは相手を選ばなきゃすぐ出来るってー」  会話がループする。 「で、ちあらは彼氏がほしくて、夜、身体がうずいたりするわけね」  慎重なのはこなみだが、下ネタがエグいのもこなみだった。 「ぶ!」  思わずななみが吹き出す。 「もー、ちあらがそんなにエッチだなんて…! ここはこなみお姉さんに任せなさい!」  こなみはちあらをぎゅぎゅーっと抱きしめたあと、なんだかやらしい手つきでちあらを触り始めた。 「な、なに?」 「それよりも、話の続きは? 男の人が女の人となんだって?」 「え、えと、わたしなら、好きな人とそばにいるのはいいけど……好きでもない男の人のそばにいるのは、別に嬉しくないし、いたいとも思わない」  自分のバイトを否定しているような発言ではあるが、ちあらには明確な違いがあった。  メイドに扮して御主人様に奉仕するのは、別にイヤではない。  御主人様(お客)の夢を叶えることに一生懸命つくす。そして御主人様に喜んでもらう。  そうして御主人様が満足してくれれば、それは嬉しい。  それがちあらの役目なのだから。  でも、果たして御主人様は満足してくれているのだろうか?  満足しているようには見える。  そしてそれは自分だけではなく、他のメイドでも、御主人様はとても満足そうだ。  不思議である。  もし自分だったら……お兄ちゃん以外の男の人では満足はしないだろう。  どんなに甘い言葉をかけられても。  どんなに優しくされても。  どんなにカッコイイ男の人でも。  お兄ちゃんでなければ……。 「……」 「なーんか、意味深」 「女の子がそばにいるのは?」  こなみはちあらに密着したままだ。そして、優しくちあらの耳元でそう話しかける。 「別に……いやじゃないけど……嬉しくもない」 「つまんない子ねー」  こなみはちあらからいったん離れた。 「あー、ちあら、気をつけた方がいいわよ?」 「ん?」 「お姉ちゃんは、女の子もいける口だから」 「へ? あ、ちょ…!」  気付いたときにはおそかった。  こなみの右手が素早くちあらのスカートの中に入り込むと、するりと下着の中へ……。 「ん〜、すべすべ……」  陰毛のないちあらの秘部はぷにぷにしていて、やわらかくて、お肌もすべすべ。  ちあらはすぐに拒否ろうとしたが、実は好奇心もあった。  このままこなみに任せたらどうなってしまうのか……。 「……なに、ちあらも女の子いけるクチなの?」  ちあらが全く抵抗しなかったので、こなみは怪訝そうにちあらの顔をのぞき込んだ。 「別に……どうなるのかちょっと興味があっただけ」 「あのね……まさか男に押し倒されても、興味があるから抵抗しないとか言わないわよね?」 「わたしは簡単には押し倒されない」 「へ? どういうことよ!?」  こなみは軽く愛撫してやろうとしたが、ちあらの身体はするりとこなみの腕から抜けてしまった。まるで磁石の同極を近づけたかのようだ。 「わたしが相手を受け入れない限り、わたしに触れることは難しい」 「なにワケわかんないこと言ってんのよ!」  こなみがヤケになってちあらにつかみかかろうとするが、確かにこなみの指先はちあらの衣服の数センチメートル手前でそらされてしまう。不思議と手が滑るように流されてしまうのだ。 「ほんとだ! ナニコレ!?」 「わたしが受け入れれば、触れることができる」  すると今度はしっかとちあらの肩をつかむことができた。  そのまま抱き寄せることも。 「へー……」 「不思議〜」  これはちあらの持つ潜在的な魔の力やちあら自身の身体能力が複合された結果ではあるが、それだけではなく、黒翼から与えられた魔の力のこもったアイテムも関係していた。制服、イヤリング、簡素な指輪、制服の上からは見えないが上腕にはアームバングル。これらのアイテムにより、ちあらの周囲には魔法障壁が常に張られているのだ。 「それにしても、ちあらは体温たかいわねー」  まぁ、太陽だから……と、心の中で答える。 「いいなぁ、冬はちあらとずっといようかしら?」 「うっとうしい……」 「ちぇ。そういうこと、ハッキリ言うわよねー、ちあらは」 「冬山で遭難するようなことがあったら、温めてもいい」 「ないわー、冬山に行くとか、絶対ないわー」 「ふむー」 「冬山いくぐらいなら、コタツに入ってちあらのマンコを攻略するわね」 「………」  この人は凄い人なのに下品だなぁ……とちあらは呆れた。  だいたいマンコを攻略ってどういう意味なんだろうか? 男と違っておちんちんがついているわけでもないのに、どうやって攻略するんだろうか? 「肌触りもいいし、ちっちゃいし……じっくり味わいたいわ」 「下品」 「ふーんだ」  しかしここで新たな疑問が生じた。  こなみが両刀使いということは、四六時中一緒に居るななみの身体を抱いたのだろうか?  ちあらはじーっとななみを見つめた。 「ん? なに?」 「あ、いや、えーと……なんでもない」  慌てて目をそらす。 「わかる、あたしには解るわ、ちあらが何を考えているのか!」 「なんなのよ姉ちゃんは……」 「あたしとななみがセックスしたことあるか、気になったんでしょ?」 「ぶっ!」  ななみが吹き出す。 「何言ってんのよ、ちあらがそんなこと考えるわけ……」 「実は、そう……」  だがちあらは観念して、そうつぶやいた。 「ええ!?」 「そうなのよ、ななみの彼氏に処女を奪われる前にあたしが破ってやったわ!」  こなみは得意そうに胸を張るが、次の瞬間ななみの拳が振り下ろされていた。 「っった〜〜〜〜……あたしの優秀な脳細胞が一万個は死んだじゃない! どうしてくれんのよ!」 「下品な脳細胞を殺してあげたの!」 「ふふ〜ん、その下品なあたしに何度イカされたと思ってるの? 彼氏よりあたしのほうが気持ちよかったんでしょ?」 「くっ……」  ななみが顔を真っ赤にして悔しそうな表情をする。 「そんなの、もっと多輝と回数を重ねればちゃんと……」 「あー、ムリムリ。だってあっちは東京になんてそう来られないでしょ? こっちは毎日ななみを気持ちよくさせてあげられるんだから」 「彼氏できてからはお姉ちゃんとはしてない!」 「フフ、ゲロッたわね」 「しまった…!」 「なるほど、エッチしていた!」  ちあらが目を見開く。やっぱりという気持ちと、ビックリした気持ちと、そんなにこなみのは気持ちいいの? って言う気持ちが混ざったへんてこな思いがちあらの心に湧き上がった。 「まー、あたしがななみの身体でいろいろ実験してただけなんだけどね、でもすっごい気持ちよかったみたいよ? ニヤニヤ」 「うるさい、うるさーい!」 「ふむー」  やっぱ女の子もエッチなのだなとちあらは思った。  別に男と一緒にいるだけでニヤついてしまう女の子もいるのだ。  というか、そういう女子もいてもおかしくはないのか、と自分をムリに納得させるように頷いた。  ま、自分は違うけど……。  とも付け加える。  いや、もしかしたら……。  もしかしたら、今のメイドのバイトを続けていたら、男の人誰にでもニヤついてしまう女子になってしまうんじゃないだろうかという危機感が芽生えた。  何故危機感か?  だって、自分はお兄ちゃん一筋。  お兄ちゃん以外の異性はあり得ないし!  他の男の人で幸せを感じたら、それはよくないし、浮気だし、裏切りだし…!  そうだ、メイドのバイト自体が裏切り行為ではないのか?  見知らぬ男性の手を握ったり、膝の上に座ったりしている。これは浮気疑われても仕方がない。 「ふわ〜〜〜……」  どうしよう。  勝手に思考して、勝手に結果を導き出したちあらは、おろおろした。 「なに、なに、どしたの?」  ななみがちあらのトートツな狼狽えぶりに驚く。 「さー、どうせ変なことでも想像したんでしょ?」  こなみはニヤニヤしたままだ。  まるでちあらの心の中を見透かしているよう。 「ちあらのエッチ」  そしてちあらの耳元でこなみはそうつぶやいた。 「ひう!」  やっぱり、やっぱりわたしもエッチな子だったのか───!  知らない男の人でも喜んでしまう、い、いわゆるビッチっていうヤツ??  違う、違うのお兄ちゃん、わたしはお兄ちゃん一筋だから……。  裏切ってなんか……。 「う……ひっく……うぁぁ……」  いつの間にかちあらは泣いてしまっていた。  泣くつもりなどなかったのに、自然と胸が締め付けられて、自然と涙がこぼれてきたのだ。  少なくとも普通の女子高生よりは生死に関わってきたし、たくさんの悲しいことに出会ってきた。  はじめから存在しない人のことを考えたところで、涙を流すことなどないはずなのに……。 「あーあ、お姉ちゃんがちあらを泣かしたー」 「う〜ん……やっぱりこの子の頭の中はよく解らないわー」  こなみからしてみれば、ちあらが勝手にエロいことを想像し、そのことで自己嫌悪に陥っていると推察したのだ。 「やれやれ、なにを想像したのか知らないけど……」  こなみはうつむいているちあらをギュッと抱きしめると、自分の胸に引き寄せた。 「泣きたいとき泣けるのは、悪いことじゃない。好きなだけ泣いていいよ?」  こなみはこなみを抱きしめたまま、そうささやいてくれた。  ちあらの表情はこなみの胸に隠れてしまって解らない。でもそれが重要なのだ。顔を見られなければ、思い切り泣けると言うものだ。  こなみはつくづく大人だ。  ちあらはそう思った。  自分が訳もわからず泣いて雰囲気を壊してしまっても、それを責めたりしない。  泣く理由を追及したりもしない。  ただちあらを、そのまま受け入れる。  あーあ、あんな話題を出すんじゃなかった……。  ちあらは目を閉じて、しばらくの間、こなみの胸に顔を埋めた。  なんとなく心地よい。  こなみの柔らかい身体に身を委ねて、ちあらはなんだか幸せに感じた。  これがお兄ちゃんだったらなぁ……なんてことを思いながら……。 *  *  * 「なに、メイドのバイトをやめる?」  翌日、ちあらは学校帰りに機巧屋に寄ると、黒翼にそう告げた。 「そんなのは好きにしたらいいと思うが、携帯やプロバイダの支払はどうするのだ?」 「蓄えはある。その間に、もっとエッチじゃないバイト、見つける」 「人聞きの悪いことをいうでない。まるであのメイドカフェが風俗店みたいではないか」 「似たようなもんぬ」  テトメトがぶすっとする。どうやらこのネコはあのメイド喫茶をよく思っていないようだ。 「もうパンツは見せない…! 見せては、いけない!」  ちあらがぐっと拳をにぎって決意する。  なんか決意するポイントが違うような気がすると、黒翼は呆れた。 「何があったのか解らないけど、好きにしたらいい。わざわざわたしのところに言いに来ることでもない」  黒翼はそう言って視線を落とすと、作業台の上に広がっている時計の組み立てを再開する。 「………」  ちあらは黙って、そんな黒翼を見つめた。  デスクの上には一〇センチを超えるような大きな歯車やゼンマイから、それこそ一ミリくらいしかないんじゃなかろうかと思われる小さな歯車まで。そしてその形も様々だ。円形だけが歯車ではないのだなと、ちあらは初めて知る。  それを黒翼は一つ一つピンセットでとっては、目の前の歯車の塊(柱時計に組み込む時計部分)に取り付けていく。その様子は確かに時計職人そのものであった。 「機巧屋に仕事はないぞ」  ちあらの視線の意図をくみ取って、黒翼はちあらを見もせずにあしらった。 「むぅ」 「ここは魔術師の仕事場。残念だけれど、ちあらが働ける場所じゃない」 「わたしは、魔術師にはなれない?」 「うむ。人には適正というものがある。ちあらはプリーストだ」 「ふむー……」 「いやマテ、クレリックだったかな? 違うな……刀も使うからどちらかというとパラディン……」  黒翼は顎に手をやって、考え込む。  要するにどうでもいいのだろう。  確実に言えることは「魔術師ではない」と言うこと。 「それじゃぁ時間は適性を超えられる?」  ちあらはめげずに黒翼に食い下がった、  たとえ魔術師に向いていないとしても、時間をかけて勉強すれば魔術師になれるかもしれないと思ったのだ。 「そういう問題じゃないぬ」  するとテトメトが割って入った。 「主は今持っている力が不満だとでもいうのかぬ?」 「あ……」 「主には吾にも扱えない素晴らしい力があるぬ。黒翼様は主に最もふさわしい力を選んだんだぬ」  テトメトの鼻息は少し荒かった。 「ごめん……なさい……」  ちあらはまた失敗したと思った。  本来簡単には手に入れられない力。それをすでに自分は持っているのに。  別に今の力に何か不満があるとか、そういうわけでもないのに……。  まるで今の力が自分には不必要でもあるかのような発言をしてしまった。 「ふぬー、わかればいいぬ」 「ふむ、時間を費やすことによって適性は克服することはできる。特にちあらは人間から見れば無限にも近い時間を手に入れている」  一方、黒翼は特にテトメトの指摘は気にしていないようだった。  相変わらず歯車に視線を落としたまま、言葉を続ける。 「だから、急ぐこともない」 「え……」 「わたしがちあらに与えた力は、ちあらにとってもっとも扱いやすい力。魔術がちあらにあっていたなら、わたしは魔術を与えた」 「……」 「そしてちあらには時間も与えた」 「コク……」  ここで初めて黒翼は顔を上げると、あの含みがありそうな笑顔をちあらにむけた。 「だからまずは今持っている力を磨くことが大事」 「いま持っている力を……?」 「その力で何ができるのか、どうやって力を使うのか、まだまだ知らないことはたくさんあるはず」 「ある……」 「魔を学ぶのは、自分の力を知り尽くしてからでも遅くはない」 「そうだった……」  自分が持つ力で何ができるのか。  どれほど強力な力なのか。  そして自分がどこまでこの力を制御できるのか。 「そうして、不幸に身を置くといい。それは、ちあら、おまえが選択したのだから」 「不幸?」 「そう、不幸はすでに始まっている」 「魔を使えないことが?」 「うむ、魔の存在を知ってしまったからね。けれど使えない」 「!」 「不幸だろう? クフクフ」 「……でも勉強すれば!」 「使えるようになるかもね」 「けれど今は」 「今は自分の力について知った方がいい。魔が不思議な力すべてを指すのなら、ちあらの使う力もまた、魔の力」 「わたしが浅はかだった。バイトは自分で探すことにする」  するとちあらはくるりと後ろへ向き直ると、さっさと機巧屋を出て行ってしまった。 「お茶くらい飲んでいかないのかぬ」  というテトメトの言葉が言い終わらぬうちに。 「やれやれ、くるくると忙しい子だ。普段は落ち着いている子なのに」  黒翼はため息をつくが、テトメトは一言ありそうだった。 「まだちあらは高校生だぬ。あんなもんだと思うぬ」 「なんだその目は」 「何年生きてもくるくる忙しい存在が、吾の目の前にいるぬ……」 「うるさい」  黒翼はもう使わない摩耗した小さな歯車をテトメトに投げつけると、湯気の立つティーカップを手に取った。 「こうやって落ち着いて紅茶を飲むくらいはできる」  そしてゆっくりと紅茶を飲むと、その味が広がっていくのを堪能した。  機巧屋に備えてある茶葉は、どれも高級品だ。 「それにしても急にバイトをやめるとか、どういう風の吹き回しぬ」 「目的を見つけたからじゃないかな」 「目的?」 「ちあらは自分がこの世界に存在できたのは、わたしのおかげだと思っている」 「間違ってはいないぬ」 「そしてちあらの記憶には、今はもう存在しないちあらの世界の記憶が残っている」 「黒翼様がわざと残したぬー」 「鳥越多輝の記憶もね」 「……ちょっと可哀想ぬ」 「大丈夫、さっきも言ったけれど、不幸を選んだのはちあら自身。逆にその記憶があるから、不幸の中を歩むことができる」 「それじゃぁちあらが見つけた目的っていうのは、なんぬ?」 「会いたいんじゃないかな、あの世界の鳥越多輝に」 「……だから、魔の力かぬ?」 「そう。けれど、今すぐにそれを実行することができないことくらいは、あの子も解っている」 「この世界の鳥越多輝はすでに存在しているからかぬ?」 「そういうこと。でもいつか……」 「会いに行くのかぬ?」 「そして新しい不幸に気付く……クスクス」 「黒翼様はほんと意地悪ぬ−」 *  *  * 「う〜む〜〜」  神社に戻るとちあらは新聞の折り込みに入っていた求人広告をマジマジと見つめた。  調べれば色んな仕事があるものだ。  しかし自分に何ができるのかと言われると、なかなか難しい。 「えくせる……わーど……できる方……」 「普免……危険物取扱……」 「………」  そもそも単語の意味がわからない……。  となるとやはり接客業がいいのだろうか……。 「え、えっちじゃない接客業がいい……」  ちあらはそんなことを思うが、そもそも世間的にエッチじゃない接客業の方が多いはずである。  それからスマートフォンで検索してみる。  ファミレス、喫茶店、スーパーだけでなく、近くのアメ横なんかもいいかもしれないなどと思い、そっちにまで検索の幅を広げてみる。すると画面下に気になる広告バナーが目に入った。 「あ、これ……」  バナーの中に書かれている言葉が、ちあらの心を揺り動かした。 「みつけた……!」  自分にぴったりの仕事。  バナーを辿って募集要項を確認する。そして深く頷くと時間も確認せずに問い合わせ先の電話番号のリンクをタップしていた。 *  *  *  とある土曜日──。  昼下がりの神田明神は参拝客でけっこうごった返していた。  秋葉原が観光地化したからだろうか? 参道を歩く人たちの姿には、外国人も多い。  その参道に面した鳳凰堂と呼ばれる建物にて働くちあらの姿があった。お守りを渡したり、御朱印帳を受け取ったり、そこそこ忙しそうに見える。 「なるほどぬー」  遠巻きにのぞきに来たテトメトが頷く。 「本来なら自分の神社でやるべきことだとは思うが……」  テトメトの隣にはパンパンに膨らんだミスタードーナツの袋をかかえた黒翼がいた。  一体いくつのドーナツを買い占めたというのだろうか。 「姫榊神社は客商売するほど有名じゃないぬ。仕方ないぬ」 「そうだね、クフクフ」  なんだか黒翼は楽しそうである。 「何がおかしいのかぬ?」 「ここの祭神の名前を思い出せ、テトメト」 「神田明神はたしか大己貴命、少彦名命、平の……う!」 「そしてちあらがいつか蘇らせたいと思っている人物の名前は?」 「鳥越姓だぬ。平将門とは無関係ではないはずぬ。もしかして、黒翼様は狙ってたのかぬ?」 「別に。それにちあらがこの神社に仕えたからと言って、何かが変わるわけでもない」 「でも変わる可能性が、少なくとも〇ではなくなったぬ」 「そうだね、〇.〇〇〇〇〇〇〇〇一%くらいは増えたかな?」 「ウソだぬー、絶対に何か起きるぬー。ぜったい一〇〇%ぬ! 心配だぬ」  テトメトが眉間にしわを寄せながらもチラリと黒翼を見る。 「ポジティブシンキング、ちあらが鳥越多輝を復活させやすくなったと思えばいい」 「黒翼様は何を企んでるぬ!?」 「わたしから何かすることはない。ただ……」  黒翼は目を閉じて、それから天を仰ぎ見た。  冬の高い空が、くもり一つ無く、どこまでも広がっている。  青から薄い青へのグラデーションが、実に心地よい。 「確かに何かが揃いつつあるような気はする」  しかし空を仰ぎ見るその表情は少し固かった。いつもの余裕に満ちた、悪戯っぽい表情は微塵もない。 「ほら、一〇〇%ぬ」  テトメトがため息をつく。 「ふむ……」  こう言うとき、人間の身体というのはもどかしい。  全てを悟り、全てを成したあの時に戻りたいと切に思う。  けれどこれも自分が選んだ道だ。 「わたしが必要なら、勝手に火の粉が降ってくるというもの」  黒翼はいつもの表情に戻ると、得意気に胸を張った。 「それよりもできたてのドーナツが冷めてしまう、戻るぞテトメト」 「はぐらかしたぬ」 「なんだ、いらんのか? そうか、ではあのポン・デ・カツオもわたしがいただくとしよう」  そう言いながら黒翼はさっさと歩き出してしまった。 「待つぬ! 吾も食べるぬ〜〜〜!」  そのあとをテトメトが追う。  神田明神から伸びる長い長い階段を一人と一匹が勢いよく降りていく。  空は相変わらず高く、雲一つ無く、どこまでも広がっている。  その透き通った空に、まだ嵐の兆しは見えなかった……。 ─────────────────────────────────────── ▼没 「ちあらは、どうするの?」 「え?」 「どっか行きたい大学とかあるの?」 「ん…」  大学……に行く必要はあるだろうか?  黒翼がここにいろというまで、この神社にいるのだろうというぐらいのことしか解らない。 「ずっと巫女をしている」 「あー、そっか、もう就職しているようなもんよね」 「コクコク」 「学びたいことはたくさんあるけど……大学でそれが学べるかどうかは、わからない」  主に黒翼が使う、魔に関すること。  自分もできなくはないが、黒翼のそれとは毛色が違うらしいということまでは解っている。  学びたければ、黒翼に師事すればよい。 「なになに、何を学びたいの?」  というななみの問いに、 「魔法…」  と 答えたのは、少し失敗だったかもしれない。  ヒソヒソとこなみとななみが怪訝そうな表情で、なにか話している。 「あたしたちのちあらが、どんどん不思議ちゃんになってくー」 「落ち着きなさい、ななみ。ちあらは元からこう言う子だったの」 「えー、そんなことないよぉ」  二人の表情は、怪訝な表情から憐れみの表情へ……。 「むぅ……」  ちあらは仕方ないという思いと、 「魔法って手品のことじゃないわよね?」  念の押すようにこなみがちあらの顔をのぞき込む。 「忘れていい」  ちあらは恥ずかしくなって、うつむいた。 「ま、確かに大学じゃ教えてもらえないわよね、そんなの。あ、いや、そんなこともないか」  こなみがはたと気付いて、ポンと手を打った・ 「どゆこと?」  ななみがポカンとする。 「歴史的な視点から魔法を研究してるところはあるんじゃない?」  魔法が現代では荒唐無稽なものだとしても、中世あたりまではれっきとした学問だったらしいことはなんとなくこなみは知識としては知っていた。  だから当時の魔法の社会的な役割や位置づけ、またその研究内容に関しては歴史の一部としてちゃんと研究されているのではないかとこなみは思ったのだった。 「ま、でもそれは魔法を実践したり、研究したりするわけじゃないけど」 「ふむー」 「でも仮に魔法を教えてくれるところがあったとして、そんなの学んでどうするの?」 「巫女の力を伸ばしたい」 「あ、なるほどねー」  と、ななみは納得したが、こなみは逆に首をかしげた。 「巫女の役割が何かって、あたしは知らないけど、巫女が魔法を使っていいものなの?」 「あうー……」  こなみの指摘は、なかなか的を射たものだった。  巫女は神に仕えるわけであるから、その力の源は神にある。そして魔法を求めるということは、神とは異なる力を得ようとしていることになる。 「ま、でもクリスマスを祝ってもいいなら、別に魔法をつかってもいいか」  ちあらが答える前に、こなみは自己完結してしまった。  ホッとするちあら。だが、やはりこなみは侮れないと、ちあらは思った。  実際、魔法でなにをするか。  それはさっきちあら自身が答えたように、巫女としてのちからの余地を広げたい、あらゆる要望に対処するために、より多くの力を会得しておきたいというのもあるが……。 「………」  黒翼がこの世界にちあらを連れてきた──とちあらは思っている──ように、あの世界の自分の想い人をこの世界に連れてくることが出来るかも知れないと言う希望もあった。そしてそれは巫女の使う力ではなく、魔法でなければなしえないのではないかとちあらは考えているのだ。  でも……。  それが出来たとしても、困ったことが起きる。それは鳥越多輝がこの世界に二人いてしまうことになるからだ。少なくとも今のちあらの知識では、そういう答になる。 「なに、あたしのことじっと見て? あたしの顔になんかついてる?」  ななみがちあらの視線に気付いて、キョトンとする。 「な、なんでもない」  ちあらは慌ててうつむいた。  鳥越多輝が二人いたら、ななみは大混乱してしまうだろうと、ちあらはななみの反応を想像して、ため息をついた。  そう、別に今でなくてもよい。自分の寿命は人のそれを遥かに凌駕している。このまま独りで生き続け、ななみ達がいなくなったあとでもよい。それに魔の力を会得するのにも、時間はかかろう。 ─────────────────────────────────────── 字 効果 読み 効果 舞 全体 マイ 自分中心もしくは上下方向 薙 全体 ナギ 払った方向、全体 斬 単体 ギリ 実際に切る 祓 聖属性 ハラエ ターニングアンデッド及びそれに類する浄化(高レベルのアンデッドや悪魔に使うと、リバースされる恐れあり) 滅 重力 メツ 重力発生 波 電磁波 ナミ 電波〜ガンマ線に至るまでの電磁波解放 風 太陽風 カゼ 太陽フレアも含む 燦 紅炎 カガヤキ プロミネンス発生(太陽フレアも含む) フレア、太陽風、プロミネンス