「ふーむー」  びとーっとショーウィンドウに貼り付いているのは、月夜野ちあらである。その表情は真剣であり、上から下、左から右へと一つ一つ品定めしている。  そのショーウィンドウに陳列されているものというのは、種々様々なスマートフォンである。  いずれも中古機ではあるが、しかしイイ値札が並ぶ。 「はぁ……」  一通り値札と機種名と性能をチェックすると、ちあらからため息が漏れる。  そして、トボトボと店をあとにした。  学校帰りにわざわざ遠回りして秋葉に通うこと、これ三日目。  おおよその相場というのだろうか? どれくらいの性能だとどれくらいの値段になるのかというのは、解ってきた気がする。  性能以外にも、発売時期が新しいものほど高いことも解った。  あと同じ機種でも、何故かドコモの端末が高い。  それが何故なのか、ちあらはまだよく解らなかった。  どちらにせよ、ポケモンGOをやるには、一万円そこそこの機械ではダメなようだった。  しかもアンドロイドがロリポップだのマシュマロだの。機種によってはヌガーにならないものがあるらしい。ヌガー!? そもそもアンドロイドはアンドロイドではないのか? ロリポップやマシュマロというのは何なのか??  サッパリである。 「すなどら! すなどら800!!」  憶えたての、しかも中身の意味はよく解らないが、なにやらスマートフォンの性能を決めるものらしいその言葉を、ちあらは忘れないよう呪文のように頭の中でくり返した。  だいたい「すなどら」が何の略かも解っていないであろう。  話は三日前に遡る。  この蓬莱不忍(ほうらいしのばず)学園にも、ポケモンGOの波は来ていた。そして、賽の目クラブにも。 「きゃー! フシギダネ出たー!」 「え、いいな、いいな」 「わ、モンスターボールなかった……! ポケストいってこなきゃっ」  部室では、やれ○○が出ただの、いくつ集まっただのという会話がひっきりなしだ。  ハマっているのは、こなみ、ななみ、十和子の三人である。  桜織は相変わらずポケモンGOどころではない忙しさ。それに任天堂のコンテンツは同人誌に使うと(ry  そしてちあらは、そもそもスマートフォンを持っていない。  以前にも、LINE というものを聞かれたのだが、LINE がなんだかも解らなかった。  考えてみれば、ちあらには友達らしい友達が一人も居ない。だから携帯電話を必要とすることもなかったのだ。  今までは。  しかし、賽の目クラブに入ったおかげで、何かとコミュニケーションをとる相手が出来た。  こなみに、ななみに、桜織に、十和子だ。  ちなみに黒翼とテトメトとは、別に携帯電話がなくてもいつでも会話が出来る。  さて……。 「むむぅ」  秋葉からの帰り道、なんとなーく財布をのぞき込む。  やはりスマートフォンを買う余裕はなさそうに見える。  ここは一つ、相談しにいってみよう。  ちあらはぐっと拳を作ると、深く頷き、歩く進路を変えた。 *  *  * 「なに、働きたいとな?」  瞼で挟むタイプのルーペをとると、黒翼が素っ頓狂な声を上げた。 「コクコク」  ティーカップを両手で大事そうに持ったちあらが頷く。  何のことはない、相談の相手は黒翼だった。 「お金が必要なことでもあったのかぬ?」  そこへ、ちょうどテトメトが茶菓子を持ってくる。  機巧屋(カラクリヤ)の店内は、相変わらず時計の音でごった返していて、右からも左からも上からも秒針の音が聞こえてきていた。  最初はこの店内で落ち着くことなどまったくできなかったが、今はずいぶんと慣れた。 「別にお金に苦労していることはないと思うが……」  黒翼は持っていた工具も放り出して、テトメトが用意したお菓子をぱくつく。  ちあらの収入源は日々のお賽銭と、それから神社の保存会の寄付金である。  ちあら自身、別に贅沢するわけではないので、食うに困ることはない。それに万一お金が足りなかったら、保存会に言えばイイのである。  だがスマートフォンともなると、事情が異なる。  ちあらにとっての生活必需品ではないからだ。しかもスマフォが欲しい動機は、ゲームである。  となると、それを保存会にねだるのは話が違うとちあらは思ったのだ。 「スマートフォンが、欲しい…!」  ちあらは、正直にお金の使い道を打ち明けた。 「なんだなんだ?」  黒翼は意外と言った様子だ。 「携帯電話かぬ」 「コク」 「たしかに、今、かなり普及しているデバイスだが……」 「持ち運べるコンピュータだぬ」 「しかし美しくない。コンピュータよりも優れた機能が満載されている、この時計達に較べれば……!」 「持ち運べないぬ。ゼンマイを巻かないといけないぬ。さらにプログラマブルでもないぬー」 「なんだお前、ずいぶんとわたしの商売道具に否定的だな」 「ぬ。プログラマブルではないというのは訂正するぬ。文字盤を変えれば、機能を変えることはできるぬ」 「ええい黙れ、ディスっていることに変わりはない」 「ぬふふ」 「しかしスマートフォンか……確かに、ちあらの周囲の子達は皆持ってそうだ」 「コクコク」 「メッセージを交換したり、話題の情報を共有したり、見つけた可愛いものを写真に撮ったり、一緒にゲームをしたりしたいだろうというのはすごくよく解る」 「コクコクコク!」  そう、それ! それそれ! と言わんばかりに、ちあらの目は輝いていた。 「けど、スマフォは買えばそれで終わりというものでもないぬ」 「どういうこと?」 「維持費がかかるぬ。アプリは全部が全部ただではないぬ。ダウンロードするときは無料でも、使っているとお金を必要とするものもあるぬ」 「さらに、どこにいてもネットに繋がろうとすると、回線維持費がかかるぬ。電話機能も使えば、通話料も取られるぬー」 「テトメト、詳しい」  ちあらは感心した。 「魔法とデジタル デバイスは、合い性がいいからね」 「そうなの? 科学と魔法なのに?」 「わたしたちから見れば、一緒。だからわたしたちはデジタル デバイスはあまり必要ない」 「ほえー」  とは感心するものの、よく解らない。 「スマートフォンがなくても同じことが出来るから?」 「ん……それもあるけど、わたしたち自身がデジタル デバイスと直接コミュニケーションがとれるってこと」 「????」  機械とコミュニケーション?  ますますちあらの頭の中は、クエスチョンマークでいっぱいになる。 「ま、ちあらは魔法使いには向いてなかったから、あんまりそっちの勉強は教えてないか……けど、一部はちあらでもできないことはない」  と、前置きして、黒翼は魔法使い達にとって、デジタル機器がその内部に実装されている様々な電気信号およびソフトウェアの仕組みを理解することは造作もないことだと教えてくれた。  電話をかけたかったら、携帯電話網(この場合、近くの基地局)に直接アクセスし、仕様通りに信号を送ってやればいいのである。 「だから、一応ドコモと契約はしてある」 「どうして?」 「電話を発呼するには、携帯電話会社から固有の番号や識別情報をもらわないとできないから。それらをもらったら、あとは魔法でかけるだけ」 「ほむー!」 「ちあらは巫女として、人や動物の感情を読み取ったり、自分の想いを伝えたりすることが出来るぬ。それは脳が持っている感情や情報をコントロールする法則に則って行わなければ、できないことぬ」 「それとほとんど同じ。機械には人間が設計した、電気信号をやりとりするための決まりがある。これをプロトコルというのだが、それに基づいて信号をおくってやる、それだけのこと」 「魔法でスマフォと同じことが出来るの?」 「できる。アプリをダウンロードして、そのプログラムを解釈して、ゲームをプレイすることも可能」 「おー!」 「けど、ちあらはむり」 「がーん!」 「ちあらは巫女(クレリック)だから。巫女の使う力は、魔法のそれとは違う」 「がっかり」 「なので、ちあらの場合、スマートフォンを買わなければならないわけだが」 「バイト、する!」 「バイトねぇ。うちの店は特にバイトが必要なわけでもないし……」 「コンビニでもスーパーでも飲食店でも、募集しているところに行けばイイぬ」 「ほむー」 「まぁ、マテ、せっかく巫女がバイトしたいと言っているのだ」 「「?」」 「それを活かせるバイトをやらせてみようではないか」 *  *  * 「お帰りなさいませ、ごしゅじんさま、お飲み物にしますか? ご飯にしますか? それとも……わ・た・し」  棒読み。  誰がどう聞いても、棒である。 「なんだあの感情の欠片もないしゃべりは……文化祭で喫茶店をやったのではなかったか?」  黒翼はジュースをストローでちゅーちゅー啜りながら、入り口であいさつをしているメイド姿のちあらを見て、眉をひそめた。 「接客はほとんどしてなかったぬ」 「なんだと!? 何故それを早く言わん! っていうかそれでよく採用されたな」 「見てれば解るぬ」  テトメトは客のまんざらそうでもない表情に既に気付いていた。 「か、か、かわぁぁぁぁ……いぃぃぃぃぃ!!」  案の定、当のお客さんは、ちあらのちっちゃな身体に抱きつかんばかりに萌えている。どうやら、お客さんの心をしっかりつかんだようだった。 「大丈夫みたいだぬ」 「解せん!」  黒翼は納得がいかないようで、一気にコップの中身を飲み干した。  ちあらはお客さんの手をぎゅっと握って、席へと案内していく。お客さんは照れ顔ながらもまんざらでもない様子。 「手を繋ぐのは、法律に触れんのか?」 「知らないぬ」 「けしからんような気がする」 「この店を探してきたのは、黒翼様ぬ」 「いや、『秋葉 メイドカフェ バイト 募集』で出てきた、上から三番目のヤツだから」 「テキトーすぎぬ!」 「それに、あのメイド服も実にけしからん。歩いただけでパンツが見え隠れしているではないか。あれでは襲われても文句が言えないと思うが」 「同じ服を着ているヤツに言われたくないぬ」 「む?」  実は黒翼もまったく同じメイド服を着ていた。 「なんで着てるぬ?」 「子供用を作ってみたが、着る人がいないから是非着てくれとオーナーに頼まれた」  そう言って、ぴょんと椅子から飛び降りて、くるーりと回ってみせる。  確かにちょっとでも動くと、スカートがハネて、そのたびにパンツが見える。 「うむ、破廉恥だ」 「着るまで気付かなかったのかぬ」 「あまり気にしていなかったな」 「この店のオーナーはいかれてるぬ」 「女の子の魅力を最大限引き出すことに長けている、とも言う」 「………」  パンツが見えることが?  テトメトは嫌悪感を抱いたというか、自分のモラルの範疇を超えていることにウンザリしたようだった。 「クスクス、人間より猫の方がモラルが高いなんて、滑稽だね」 「モラルというものは時代と共に変わるものぬ。これが世間で受け入れられるなら、まぁ、べつにいいぬ」 「ふむ」  しかし黒翼はもう一つ誤算があった。メイドカフェに「巫女」を売り込もうとしたのだ。が、結局ちあらはメイド服を着せられてしまった。 「いろいろ追加料金とれると思ったたのに」  そして口をとがらす。 「どういうことぬ?」 「ちあらは本物の巫女」 「そうだぬ」 「だからお祓いとか、占いとか、カウンセリングとか本物が提供できる」 「できるぬ」 「そこでそういうコースをこの店に作ってもらって、その分高い金額をせしめようとしたのだが……」 「なんだ、そんなことかぬ」 「オーナーは巫女装束よりもメイド服の方がかわいいとか抜かしおった」 「人間の美的感覚は、吾にはわからないからなんとも言えないぬ」 「美的感覚とは、ちょっと違う。萌えというものはだな、愛でたくて、かわいくて、思わず心も頬もほころんでしまうものを言うのだ」 「吾のことかぬ!?」 「うるさい、お前はもういちど鏡を見てこい」 「ひどいぬ…」 「黒翼ちゃ~ん」  そこへ、店員のメイドが一人、黒翼の元に駆けてきた。 「勝手に馴れ馴れしく呼ぶでない。それにわたしは今は客だ!」  黒翼はめんどくさそうにそのメイドを見上げる。 「ちょっとメイドの数が足りなくなっちゃって、新しいお客の接客、お願いね」 「は?」 「だいじょ~ぶ、大丈夫。黒翼ちゃんなら、どんなお客さんでもイチコロよ」 「イチコロ……」 「いつの時代の言葉ぬ……おまえ何歳ぬ?」 「え?一六だけど」 「あやしい」 「あやしいぬ」 「いいから、いいから、頼んだわよ」  そう言うと、そのメイドはさっさと自分の担当のテーブルへと戻っていく。 「このわたしをこき使うとは、あとでたっぷりと請求してやる」  黒翼はそうぶつくさ言いながらも、パンツを見せ見せ、入り口へとてこてこと歩いて行く。しかし残念ながらその仕草は色気というよりも、ただの子供である。  黒翼は接客を待っていた客の前に来ると、薄笑みを浮かべた。 「よく来たな、下僕。今夜は魔界の帝王であるわたしがトクベツにお前に奉仕してやろうではないか? 望みを言うてみぃ。飯か? 飲み物か? それともわたしを所望か?」 「ま、魔王様、魔王様が欲しいです!」  客はけっこう興奮気味に、鼻息荒く答える。  黒翼を今にも抱きかかえてどこかに行ってしまいそうな勢いだ。 「うむ、よかろう。ではわたしを抱いて、席まで行くとよいぞ」 「は、はい!」  すると客は興奮を抑えきれず、黒翼をお姫様だっこして、テーブル席まで歩いて行った。  黒翼の体重はまるで衣のように軽く、そしてその抱き心地はふわふわで柔らかくて、ほんのりのいい匂いがした。 「はぁ……」  それを遠巻きに見ていたテトメトはため息をつく。 *  *  *  一方、ちあらはその自分の手には大きすぎるゲームパッドを握りしめて、御主人様にゲーム指南を受けていた。御主人様の膝の上に乗って操作しているのだが、初心者にありがちな、右に行こうとすると身体も手も右に向く。敵の攻撃をよけようとすると、身体もそれに合わせて左によけたり右によけたり……。  そもそもゲームなどほとんどしたことのないちあらにとって、パッド操作というものはまったく慣れない。  このメイドカフェはお客さん一人にメイドが一人着き、配膳だけでなく運ばれてくる料理の様々なお世話をする。  飲み物や食べ物を選んだ場合は、メイドがそのメニューの世話をするだけなのだが、飲み物も食べ物も選ばずメイドを選んだ場合、メイドと一緒に過ごすことができる。 「ここ、ここがクリアできないです、御主人様…!」  ゲームが苦手なメイドを御主人様がご指南。 「で、このキャラとこのキャラが兄妹で家督を継ぐんだよね。だからこっちのキャラはこの二人に復讐すると決めたわけだ」 「ふむふむー……! さすがです、御主人様!」  一緒にアニメを鑑賞しながら、御主人様が得意げにたれるオタク知識をじっくり聞いてあげたり。 「御主人様、肩はこっておられませんか?」  メイドが御主人様をマッサージ。 「御主人様、わたしの膝に頭をお預けくださいませ」  さらに耳掃除をしたり、爪を切ったりなどの御主人様のお手入れ。  コースは三〇分からだが、二時間でも三時間でもあっという間に過ぎてしまう。その間、メイドをずっと占有してしまうので、客の回転は決してよくない。なのでこの店は予約する客が圧倒的に多い。  また、メイドを選んだ場合は、飲み物・食べ物はメイドが勝手に頼んでしまう。とはいえ、お客さんが変わるたびに食べ物を注文していたら、メイドの胃袋がパンクしてしまうため、メイドが自分の分を頼むことはほとんどなく、客の様子を見ながら、その時その時に客にあった注文をしてくれることの方が多い。ちなみにアルコール類は出さない。 「む……」  不意にちあらのゲームを操作する手が止まった。 「どうした、ちあら?」  客…もとい御主人様が、首をかしげる。この店ではメイドを呼び捨てにするのが基本である。  ちあらは自分の後ろにいる御主人様を振り返り、見上げた。その表情はあいかわらず無表情というか、何を言おうとしているのかも想像がつかない。 「御主人様、勃起しておられます。ここはそういう場所ではありません。すぐにお鎮めください」  そして相変わらずの抑揚のない声でそう告げた。 「う……わ、ご、ごめん……!」  素に戻る、御主人様。  ちあらのこの正直な対応が、実は客の評価を二分していた。  これがかわいいという客もいれば、そもそもそんな格好で膝の上に乗られたら誰だって勃起するっつーの、黙っといてくれよという客もいる。ちなみに他のメイドはだいたいは黙ってくれている。  しかもメイド服のスカートが短すぎるため、勃起した先っぽはズボン越しとはいえちあらのパンツに当たってしまうのだから、鎮めることなど不可能に近い。さらに言えば、ちあらがゲームパッドを必死に操作するたびに、ちあらのお尻が左右にゆれてその熱くたぎった先っぽを擦りまくるのだ。これはもうケシカランことこの上ない。  しかしちあらは座るポジションを少し前にずらして、カンカンに熱くなってしまったソレからは離れる。でもそうすると、あの短いスカートの裾がソレに優しくかぶさって、これはこれでまた……。 「ごめん、すぐには鎮まらないかも……」  素に戻ったままの御主人様は、すまなそうにそうつぶやいた。 「生理現象だから、仕方ない。変なことしなければ、そのままでも大丈夫」  ちあらはゲームの画面に向き直ると、コクリと頷いた。 「それよりも、ここ、ここの攻略方法がわからない」  あまりこの話題にこだわっていると、御主人様が変な気を起こしかねないと思ったちあらは、いま目の前で詰まっているゲームに話題を変えた。 「あ、うん、ここはね……」  まだ素に戻ったままの御主人様はちあらのゲームパッドを持つ手に、自分の手を重ねて、ゲームの操作の仕方をちあらに教えた。  御主人様のいうとおりにすると、たちまちゲームをクリアできたので、気をよくしたちあらはさらにその先に進む。 「はっ!」 「ほっ!」 「たぁ!!」  攻撃するたびに、無意識に声が出る。  そしてそのたびに、ちあらの身体が大きく揺れる。その不安定さから、ちあらは御主人様の膝の上にしっかりと座ってしまう。  再び御主人様のおちんちんがちあらのパンツに……。  ご主人様も大興奮! 「ちあらちゃん、あぶない、落ちる、落ちる!」  ちあらを呼び捨てにする余裕もなく、ちゃん付けである。さらに暴れるちあらを支えるために腰に手を当てる御主人様。膝の上からずり落ちそうになって、ちあらがようやく我に返った。 「わ、ご、ごめんなさい、御主人様」 「いや、落ちそうだったから……」  と言いつつも、いつまでも腰から手を離さない御主人様。 「ん………」  そしてアッツアツのおちんちんがちあらの股間にピッタリとくっついているっていうか、ちあらのお尻の山をかき分け、パンツ越しにちあらの性器の下をふさいでいるのがわかる。  その突端はちあらの前にはみ出しており、なかなか立派なものをお持ちのようだ。  とはいえ今回は自分の所為なので、ここで御主人様に何か言える立場でもない。  ちあらは無言で座る位置を前にずらした。  おちんちんが自分の股下を擦り上げる。 「ひう…!」  感じるとかじゃなくて、単純に気持ち悪い。  しかも御主人様のが大きすぎて、少々前へずれただけでは……。 「う~~~……」  しかしさらに前に行くと、御主人様のおちんちんはちあらの尻の溝を擦り上げて、上へと反り返っていった。 「はふー……」  一段落。とはいえ、自分の尾てい骨のあたりにおちんちんが……! 「大丈夫…!」  ちあらは顔を真っ赤にしながらも、なんとか取り繕う。  なんというか、自分の股間に当たっていたモノの大きさから形とかを勝手に想像してしまい、さらにそれが自分の記憶の中にあるあの別世界での想い人を思い出してしまい……というか想い人のおちんちんを思い出し、あの人とはエッチしまくってたなーというところで、思考が止まってしまったのである。  この世界の自分は、性経験などないというのに。 「あの、顔真っ赤だけど……熱とかあるんじゃない?」  勃起したままの御主人様が優しく気遣ってくれる。 「ちょっと興奮しすぎただけ」  そして御主人様こそ興奮しすぎ! 早くそれを収めて欲しい。  とか思う。 *  *  * 「おつかれさまでしたー」 「おつかれー」 「またねー」 「お先ー」  一人、また一人とバイトの女の子たちが帰っていく。  しかしそれでも更衣室は賑やかだった。  そしてこういった場所では、お客さん(御主人様)の悪口大会になってしまう。  やれ誰々が臭かっただの、手も触れたくないだの……しかも常連客にはあだ名をつけているらしく、そのあだ名そのものが悪口になってしまっているものも少なくなかった。  この雰囲気がちあらは少しイヤだった。  イヤならやらなければよいのに……と思う。  やりたい人がすればいいのに……仕事はイヤイヤやって欲しくないなぁなどと思う。  でもみんなにはみんなの事情があるんだろうし……それを口に出すことはなかった。  それに、体臭のきつい御主人様や、不必要にベタベタ触ってくる御主人様は苦手と言えば苦手である。こちらは客を選べないので、相手をしないわけにもいかないし……。 「お先に…」  さっさと着替えると、ちあらは店を後にした。 「おつかれー」 「おつかれさまー」 「じゃねー」  などというあいさつを後ろに聞きながらエレベータに乗る。  時間は二二時過ぎ。  エレベータから降りて路地に出ようとしたところで、黒い影が左から出てきた。  賊かと一瞬身構えるちあら。帰り道にバイトの子が痴漢に遭ったり脅されたりしたことがあるという話を思い出した。 「あ、あの……」  急に出てきた割には、自信のなさそうな声がした。  ちあらは街灯にぼんやりと映し出される相手の顔をのぞき込んだ。  立っていたのは今日相手をした御主人様の一人だった。 「これ、受け取って下さい…!!」  彼は急にちあらに両手を差し出すと、頭を下げた。  その差し出された両手には、可愛らしい封筒があった。  おそらく本人が普段使いするものではないデザイン。ちあらのためにあれこれ悩んで決めた封筒なのだろう。  自ずと内容もなんとなくではあるが、推測できる。  ちあらは、ゆっくりと首を左右に振ると、そっとその差し出された手を押し返した。  とたんに悲しそうな顔になる御主人様。 「悲しまないで。大丈夫、わたしはあなたのものになることはないけれど、他の誰のものにもならないから」  自分に恋愛は不可能である。  たとえ誰かに恋い焦がれるようなことがあっても、一生を共に歩むことはできない。  人間からすれば永久に近いほどの命を得、人とは異なる価値観を手に入れてしまった今は。  それに……。  かつてはある人のものだった。  自分に命をくれた、ある人の。  とはいえそんなちあらの特殊な事情を、目の前にいる御主人様が知るわけもなく。 「わたしは巫女だから、誰かと一緒になることはできない」  そう言って、お札を一枚取り出すと、ちあらは短く呪文をとなえた。  一枚のお札が、二枚に、そして四枚になると御主人様を取り囲んだ。同時にちあらが神社で過ごす姿が、彼の脳裏に一つ、また一つと焼き付けるように映り込む。  そのたびに札が消滅していく。  つまり四つの映像が彼の脳裏に映し出されたことになる。 「だからあなたの夢は、ここでおしまい」  パン!  ちあらの柏手(かしわで)の音で、我に返る。  気がつくと、目の前にちあらの姿はなかった。 *  *  *  一週間後、黒翼の努力もあって、メイドカフェにはちあらのコーナーができた。取り扱うのは主に占いである。しかも恋愛占い。メイドと御主人様の相性を占うというのが、もっぱらの人気だった。そのアイデアを提案したのも黒翼だった。  この店に来た御主人様は、初めて指名したメイドと相性を占うというのが、すでに既定コースとなっていた。  また御主人様がどのメイドに決めるか迷ったとき、ちあらの占いによって、相性のよいメイドを選ぶ場合もある。  しかしこの占いの導入によって、ちあらはまったく予約の取れないメイドとなってしまった。主に占いの席に座っているので、ちあらが接客をすることがなくなってしまったからだ。 「一八時三〇分に新規の御主人様二名ね。来たらすぐここに案内するからよろしくね」  フロア長のメイドがちあらの占いの席に来ると、次の予定を伝えた。 「コク」  ちあらは、頷く。  ほどなくすると、二人のメイドがそれぞれ御主人様を伴ってちあらの席に来た。 「ほらほら、御主人様、座って座って!」 「こちらです、御主人様」  元気系のメイドと、しっとり系のメイド。  二人の御主人様は学生服を着ている。聞けば金沢の高校からの修学旅行生だという。このメイドカフェは地方でも有名で、わざわざ金沢からネットで予約したらしい。と、良く喋る方の御主人様が教えてくれた。  もう片方は照れているのか、あまり喋らない。  嫌がっているわけではなさそうだが……察するに、よく喋る方がムリヤリ連れてきたようだった。  ちあらは祓い串を何度か振って、占うポーズをする。  この辺は雰囲気を出すためのフリである。  恋愛に関する祝詞を上げ、御主人様と指名されたメイドの合い性を占う。が、結果は当たり障りのないものに終始する。  そうすれば、悪い結果を引いても、見方を変えれば悪くないという方向に持って行けるからだ。  まず元気系のメイドと同じく良く喋る御主人様の合い性を占う。  これは文句なくバッチリだった。 「すごいです!御主人様との相性、抜群ですって!」  メイドが喜んで御主人様の腕にギュッと絡みつく。 「うひゃ~、照れるなぁ~」  二人は飛び跳ねる勢いで盛り上がった。 「えと……こっちは……」  と、出てきたお札は餓鬼。あれ……良くないのが出てきた。これは想定外。 「どうしたんですか?」  しっとりメイドが首をかしげる。 「あ、えと、こっちの二人は飽くなき恋愛欲というか、貪欲にお互いを求め合うというか……」  なんとか餓鬼のイメージを恋愛と結びつけようとテキトーにこじつけながら、こっそりもう一度、お札を引いてみる。 「ふわ……!」  だがまたしても餓鬼。  良くない札が出るにしても、もうちょっと格の高いものが出ればまだいろいろ理由をつけられたと言うのに……よりにもよって。  そもそも何が出るのかちあらはコントロールしていて、餓鬼が出るなんてことはないはず。  ただ、予期しない札が出てしまう心アタリはある。この引っ込み思案な生徒の気が、さっきからうすぼんやりとしていてイマイチ読み取れないのだ。  科学的に言えば、設定しなければならないパラメータが少なすぎて結果が導き出せない感じに似ている。 「お互いを求め合うって事ですね? でも、肝心の合い性がよくないと、求め合っても……」  メイドが続きの言葉を催促する。 「あ、えーと……」  言葉に詰まるちあら。  あ、お互いの愛に乾くことがない、なので合い性は良い! コレで行こう……! と思ったときだった。相手のメイドがわりと真面目な子だったのが災いした。 「結局どうなんですか? ちょっと札を見せてください」 「あ……」  伏せてあったお札を、その子がとってしまった。  当然、現れる絵札は餓鬼である。 「………」  醜いせむしの鬼のような妖怪が描かれている絵札を見て、全員が沈黙してしまった。 「あ、あの……こ、これは……」  この場をどう収めれば良いのか解らず、ちあらはしばし狼狽えた。 「ナニコレ?」  もう一人の明るいメイドがキョトンとしながら、お札を取り上げる。 「餓鬼。いつも飢えと渇きに苦しんでいる……餓鬼道に転生してしまった人、もしくはその霊魂に憑かれた人や餓鬼道の妖怪……」 「あ、だからお互いを貪欲に求め合うってこと?」  まぁ、便宜上は……。と、ちあらは心の中で答える。 「なんか悪い結果ですよね? 絵柄的にどう見ても……」  メイドがため息交じりに御主人様をみつめる。 「あ、う、占いが全てじゃないから……」 「でもちあらの占いって、よく当たるって有名に……あ……」  この状況でそのセリフはダメだろうというみんなの視線が、明るいメイドに集まった。 「あははははは……」  メイドはバツが悪そうに、頭の後ろに手をやった。  とはいえこの場を収めるのも、巫女のつとめである。  ちあらは気を取り直すと、祓い串をつかんでずずいと二人の前に身を乗り出した。 「そのために、お祓いがある」  そして深く頷くと、笑顔を見せた。 「おお! さすが巫女ちゃん」 「そうでした! ちあらちゃんは巫女だった!」  相性のよい二人が、やんややんやと騒ぐ。 「このお祓いで、二人の合い性どころか、恋愛運もよくなる」  ちあらも得意げな顔でテキトーなことを言う。 「是非お願いしましょうよ、御主人様」 「え、あ、あぁ、うん……」  だが一方の御主人様は、わりと合い性とかどうでも良さそうな雰囲気だった。  実はあのままでもよかったのかもしれないと、ちあらは心の中で少し思った。 「ふぅ……」  テーブル席に向かって行く四人の後ろ姿を見ながら、ちあらは安堵のため息をついた。  ちなみに念のためもう一度、あの二人について占ってみると……。 「う……」  やはり餓鬼が出た。  ということは本当に合い性は悪いのだろう。ちあらのお祓いも効いていない。  もっとも別にあの二人が本当に付き合うわけではない。ちあらの占いとお祓いはメイドと御主人様(客)との距離を縮めるための演出なのだから。  ちあらはじっと、運気が見通せなかったあの修学旅行生をみつめた。だが、やはり掴めない。靄(もや)がかかったような……何かが運気そのものを見せないようにしているような……。 「ふむー」  ちあらは試しに自分とその修学旅行生の合い性を占ってみた。  彼に何か負の力があるなら、誰と占っても悪い結果になるはずだ。 「!!」  だが、ちあらの予想を裏切る「玄武」の札が出た。  縁起がいい。さらに子だくさんや子孫繁栄も現す。  そしてこれには……再会・復縁の意味が込められている。 「え……?」  ちあらはもう一度、テーブル席についているあの修学旅行生へと視線を移した。  テーブルは盛り上がっているが、しかし、かの修学旅行生だけはイマイチうち解けられないようで、会話なども受け身に徹していた。  この札の意味するところはなんであろうか? *  *  * 「「行ってらっしゃいませ、御主人様」」  修学旅行生を見送るメイドの背を見ながら、ちあらはまだあの占いの結果が頭から離れなかった。 「あ……」  すると、一人が駆け足で戻ってきて、そしてちあらの占いの席に来た。  あの餓鬼の札が出てしまった方だ。 「あのさ、さっきのお札、もらえないかな?」  彼は少し照れたような表情をみせながらも、そう言った。 「餓鬼の?」 「ああ」  別にお札など、何枚でもある。 「ここに来た記念にね。東京なんて滅多に来ることないし、それにこう言う店も入ったのも初めてなんだ」  あまりうち解けていないように見えていたのだが、彼は彼で記憶に残る時間だったようだ。 「はい、どうぞ」  ちあらは彼を占ったときの札を、差し出した。  一緒に、玄武の札も。 「あれ? こっちは見たことないけど……」 「あとで念のため占ったら、出た。そっちは縁起がいい札だから。餓鬼の札だけもっているのは、よくない」  餓鬼の札だけ持って帰るのはなんとも不吉だし、当然縁起もよろしくない。 「そっか、ありがと。大事にするよ」  彼はそういうと、初めて嬉しそうに笑った。 「あ……」  その微笑が、ちあらの頭の中で何かと重なる。 「それじゃぁ」 「「行ってらっしゃいませ、御主人様」」  もう一度メイドたちが彼らを見送る。  その後ろ姿をちあらはずっと見続けていた。 *  *  *  終業。  フロアの片付けも終わって更衣室で着替える。ちあらが店で着ている巫女装束は自分のものではなく、お店側が用意してくれたものだった。なので、少し着心地が悪いのと、巫女の能力が落ちる。  黒翼が作ったちあらの巫女装束は、ちあらの能力を高める仕掛けがしてあるのだ。 「ちあらちゃーん!」  もそもそとさらしを解いていると、フロア長のメイドが駆け寄ってきた。 「これ、御主人様の忘れ物みたいなの、だれのか解る?」  手に持っていたのは、鍵束だった。  家の鍵に何かのロッカーの鍵、それからバイクの鍵などがついている。家の鍵とおぼしきものは二つある。 「ん……」  ちあらが受け取ると安っぽい金属が触れ合う音がした。 「どこのテーブルに忘れてあったとかは……?」 「えっと、これ拾ったの誰だっけ?」 「ユキじゃない?」 「ノアっちだと思うよ?」 「えー、ノアっちならもうとっくに帰ったよ~」 「ふむー……」  とはいえ、触れただけである程度触れた物の歴史というのだろうか、環境を読み取ることはできる。物質にはその物質がそこにあるまでに至る様々な証拠が付着しているもの。  これをより的確に、さらに感覚として読み取れる能力がサイコメトリーだが、ちあらはそこまでの能力は有していなかった。漠然と、なんとなく解るだけ。  だが……。 「う……」  これまた読み取れない。  普段なら、せめてどういう所によく置かれていたかや、持ち主のなんとなくな輪郭は解るのだが……。 「誰か、わからない?」 「んー」  とはいえ答は簡単だった。読み取れないということは、あの運気が読み取れなかった修学旅行生のものだろう。  今日の客で、自分の術が通じなかったのはあの生徒だけだ。 「たぶん、わかった」 「ほんと!?」 「でも修学旅行生だから急いで届けないと……」 「ええ!?」 「相手したの誰だっけ?」 「ノアと……みあ」  占いをしたときの二人のメイドの顔を思い出す。しっとりしたほうがノアで、よく喋る方がみあだ。つまり帰ってしまったノアがあの運気の読み取れなかった生徒の相手をしていたことになる。 「ノアっちはもう帰ったから……」 「みあ!」 「ふへ」  メイド服を脱ぎかけだったみあが、変な声で返事をした。 「今日の御主人様で、修学旅行生、憶えてる?」 「あー、えーと、神奈川から来た?」 「金沢」  ちあらがぼそりと訂正する。 「あれ、そうだっけ?」 「………」 「その分じゃ、学校の名前を聞いてても忘れてそうね……」 「あー、聞いた聞いた。けど、憶えてないや」 「素直に警察に届けるのが無難かしら」  フロア長は、仕方ないといった表情だ。  まぁ、それがよいだろうと、ちあらも頷く。 「ちあらちゃん、わかんないの?」 「え……」  更衣室のみんなの視線が、ちあらに集まる。 「そ、そこまで万能じゃない……けど……」  どうして読み取れなかったのかは気になる。 「しらべて……みる……」  自信なさそうにそう答えると、ちあらは今日はその忘れ物を預かることにした。  自分で持ち主が解明できなくても、簡単に解明できる存在がいるのだから、いざとなったらそっちに任せればいいのだ。 「というわけ」  機巧屋で紅茶をすすりながら、ちあらは目の前のテーブルに置いた鍵束の説明を終えた。  やはり機巧屋の紅茶はおいしいのだなと、メイドカフェでバイトをするようになってから、ちあらは思った。メイドカフェで出している紅茶の茶葉は、けっこう安物のティーバッグだし……。 「………」  目の前にいる黒翼は面倒くさそうな表情を露骨にしている。  が、ちあらは気にしていないようだった。 「警察に届ければそれでいいと思うのだが……」  人差し指と親指でつまむように鍵束を持ち上げると、黒翼は呆れたような声を出す。 「わたしが読み取れないのは、気になる……」 「それはそうだけど……それをわたしにやらせるか?」  とか言いながらも、黒翼は持っている鍵束の記憶をさぐってみる。 「ふむ……」  軽く探ってみるが、特にこれと言って仕掛けはないように思えた。  しかし……。 「ほう」  その持ち主を探ろうとすると、少し面白い反応が返ってくる。ちあらはこの鍵そのものを調べたのではなく、無意識に持ち主にアクセスしようとしていたのだろう。 「確かに、これは興味深いね」  黒翼が悪戯っぽく笑う。 「何かわかった?」 「ふふふ、持ち主の居場所は分かったから、届けてあげるといい」 「さすが黒翼」 「場所は東京ステーションホテル。学校名は……」  すらすらと持ち主の場所を話す黒翼。 「すごい……」 「もう就寝時間だから、届けるのは明日で大丈夫。彼らが帰るのは明後日だから」  そこまで解るのか……と、ちあらは感心以上にうすら寒いものを感じた。 「解りすぎるのも、イヤなものだよ? クスクス」  ちあらの心の内を知ってか知らずか、黒翼は悪戯っぽく笑うと、鍵をちあらへと返した。 *  *  *  翌日、放課後。  ちあらは賽の目クラブに今日は出られないことを伝えに顔をだした。 「あら、どこ行くの? 珍しいわね」  こなみがちょっと驚いた反応をした。 「ん……東京駅に」 「なんでまたそんなところに?」 「昨日落とし物を拾って、調べたら持ち主が東京すてーしょんほてるというところにいることがわかった」  ステーションホテルの部分がなんとなく舌足らずなちあらの声。もともと外来語が苦手というのもある。 「なるほどねー。すごいわね、直接落とし主が解るなんて」 「ん……」  本当は持ち主を捜し当てたのは黒翼だが、それを説明するのも面倒なので、軽く頷く程度に留める。 「あ、それならさぁ、あたしたちも行かない?」  と、こなみはななみの腕を引っ張った。 「え……」  わざわざ報告しに行ったのが仇になったようだ。 「いくいくー! ついでにさ、ポケモン色々ゲットしようよ」  ななみは持っていたスマフォを掲げてはしゃぐ。 「十和子も行くでしょ?」  窓際で日光に当たりながら幸せそうにしていた十和子は、いきなり呼ばれて反応するのに少し時間がかかった。 「うーん、でもそしたら桜織が独りぼっちになっちゃうよ?」 「どうせ今日も忙しいんじゃない?」 「でも桜織が来た時誰もいなかったら寂しいだろうから、わたしはここで留守番してるよ」  十和子はちょっと残念そうにトーンを下げながらも、そう答えた。 「じゃぁ、桜織が来たら遊びに行ってるって伝えといて」 「わかった、伝えとくよ。えっと、戻ってくるのかな……」 「東京駅でしょ? ここから秋葉まで歩いても、一時間くらいで戻ってこられるんじゃないかしら?」  なんだかどんどんと話が進んで行く。  だが、断る理由も特にない。落とし物を届けに行くだけなのだから。 「じゃ、行ってくるわね」(こなみ) 「いってきまーす!」(ななみ) 「いって、きます…」(ちあら) 「いってらっしゃーい!」  三人は十和子に見送られながら部室を後にして、校外に出た。  東京駅へは最寄り駅である浅草橋駅から電車に乗るのがよい。しかしこの駅は総武線といって東京駅には乗り入れていない。そこで一つ西隣の秋葉原で山手線に乗り換えて東京駅に行くことになる。  が、ちあら達の通う蓬莱不忍学園は浅草橋駅より西にあるため、乗換の時間や電車賃を考えると秋葉原まで歩いてそこから山手線一本で東京駅に出た方がトータルコストが低いのである。 「ちょ、ちょっとどこ行くのよ?」  そんなワケで秋葉原に向かうものだと思っていたこなみは、ちあらが秋葉のある西ではなく、いきなり南下しはじめたので呼び止める。 「ん……」 「浅草橋から乗るの? でもここ(学校)からなら秋葉に歩いた方が早いし、お金もかからないと思うんだけど」  という疑問をなげるこなみに、ちあらは何を言っているんだコイツと言わんばかりな顔を返した。 「何よ?」 「歩く」  ボソッとちあらはそうとだけ答えると、すたすたと歩き始めた。 「ええ!?」  電車賃がもったいないし、suica も持ってないというのがちあらの判断だった。 「東京駅まで歩くってこと!?」  こなみとななみが後を追いかける。 「大丈夫、三kmちょっとしかない」 「あ、そんなもん?」 「コク」 「じゃぁ、歩きましょうか。その方がいろんなポケモンに会えそうだし!」 「うんうん!」  こなみとななみの二人は早くもスマフォを握りしめている。 「…………」  そんな二人を見上げて、いーなー、とちあらは素直に羨んだ。  だが、今のメイドカフェのバイトを一ヶ月やれば!  自分にもスマートフォンが!  などと思いながら東京駅に向かうのだが……。 「あ、ちょっとまって、ちあら。モンスター沸いたから」 「あーっと、そこのポケステで補充補充」 「こんな所にお地蔵さんあったのね、しらなかったー」 「こっちにはうち捨てられたケロちゃん人形が……」 「ここ、昔、薬局だったんじゃない?」 「あ、なるほどねー」  ポケモンに夢中の二人のせいで、進まない、進まない。 「あの……」  もう置いて行っていいんじゃないだろうか、などと思う。  結局一時間以上かかって、東京駅にたどり着いた。  東京ステーションホテルは大正時代に完成したあの赤煉瓦の東京駅の中にあるホテルである。最近リニューアルしたばかりで、確かに修学旅行での思い出作りにはピッタリな宿泊地だ。  ピカピカに磨き上げられた床、年季が入ってはいるけれども立派で頼もしい太い柱。  維持・管理がしっかりしているので、同じくらい古いはずの賽の目クラブが入る部室棟とは偉い違いだ。  三人は少しかしこまりながらもホテルのフロントで宿泊している学校の名前を伝え、先生を呼び出してもらった。  するとちょうど都庁に見学に出ており、あともう少しで戻るという。 「待つ」 「全然問題ナシ。ここ沸きまくりだし、課金アイテム使ってるヤツ、超いるから」 「おねえちゃん、あっちの方で花びら舞ってるよ!」 <- 誰かが課金アイテムを使用している 「お、行こう行こう」  二人はいそいそと東京駅の方へと消えていく。 「むぅ……」  あんなにはまってしまうものなのだろうか……とか思いつつ、自分もスマートフォンを手にしたら、ポケモンを追いかける毎日になるのかもとか思う。それはそれでワクワクもするし、楽しそうである。  さて、暇だ。  ベンチに座って、両足を前に投げ出してぼけーっと待つ。  こう言うときもスマートフォンがあれば、気になる情報をチェックしたり、動画を見たりして時間をつぶせるのだろうななどと思うが、そういえば自分には本があることを思い出し、鞄から本を取り出す。  タイトルは藤沢周平の極意橘登手控え。時代小説である。  ただ本当に本を読み始めていいのかどうか……ちあらは迷った。本に没頭してしまうと、修学旅行生たちが帰っきても気付かない可能性が……。  どうしよう……。  などと思いながらも、ちあらはページを読み進めていき、どうしようの部分は頭のどこかから消えていた。 「あ、戻ってこられたようですよ」 「あ…」  フロントのお姉さんに声をかけてもらって、我に返る。  顔を上げると、続々と生徒達が入り口から入ってくる。担当の先生に渡すのも良いが、ここで本人を見つけ出せれば一番手っ取り早いと思った。 「見つけた…!」 「あれ、キミは」  どやどやと戻ってきた生徒たちの中に、見覚えのある生徒をちあらは見つけた。そしてその生徒もまた、ちあらに気付いたようだった。  ちあらは鞄の中から鍵束を取り出すと、彼の元に駆け寄った。 「あの、これを……」  安っぽい金属が触れ合う音。 「あ、俺の鍵! あの店に落としてたのか……」  ホッとした表情を見せて、彼はそれを大事そうに受け取った。 「なくなってスゲー困ってたんだ。ありがとう、助かったよ」  本当に嬉しそうだ。  その彼の笑顔に、ちあらの表情もほころぶ。 「よかった」  用件は以上である。しかし、ちあらは何故かまだ離れたくないというか、まだもう少しここにいたいというか、そんな気持ちに駆られた。 「あの、時間あるかな? なんかお礼したいんだけど……」  すると生徒の方から声をかけてきた。 「えっと……」  ちあらは後ろを振り返って、こなみとななみの姿を探した。  なんか遠くの方で、まだポケモンを追いかけているようだった。 「時間は、大丈夫」 「じゃぁ、えーと、どうしようかな」  辺りを見渡す。 「東京ならちょっと歩けば、カフェなんていくらでもあるか」  そう言って彼はちあらの手を遠慮なくつかむと、外へと連れ出した。  いきなりでびっくりしたが、ちあらは素直に受け入れる。ちなみにちあらは幾重もの魔法障壁があるため、普通の人間はちあらが受け入れないと触れることはできない。 *  *  *  喫茶店は彼のいう通り、すぐに見つかった。  しかも綺麗でオシャレな店が。  ただ、ちょっと高校生二人には大人っぽすぎる感じもするが。  けれど彼は東京という場所にもだいぶ慣れたのか、田舎くさい感じはしなかった。テキパキとしていて、店員との会話もとても大人っぽくちあらには見えた。言葉も標準語だ。 「好きなの頼んでいいから」  おしぼりを渡しながら、彼は笑顔をたむ けた。  本来ならおしぼりを配るのは自分の仕事だ、と軽く先を越されたことにちあらはショックを受ける。 「あ、ありがと……」  外食になれてないばかりか、そもそも自分の神社周辺のことしか知らないちあらの方が、なんだか田舎くさいかもしれない。 「強引でごめん。あんまり他の生徒に見られたくなかったからさ」 「そう……」  ちあらはなんて答えれば良いのかよく解らなかった。  なんで他の生徒に見られるのがイヤだったのだろうか? 「だって東京の女の子と会話してたら、絶対クラスメイトに茶化される」 「なるほど……」 「でも、わざわざ鍵を持って来てもらったのに、礼もせずにさよならってのも悪いしさ」  彼はバツが悪そうに笑った。 「ん、気にしなくて大丈夫」 「改めて、ありがとう。これがなかったら、家に入れないところだった」 「それは危ないところだった」 「あぁ、ほんとに」  独り暮らしなのかな? と、ちあらは思った。  別に家族がいれば、家の鍵はなくても入れるはずだ。 「落としたことも言えなくてさ。昨日の行動とか絶対先生に聞かれるだろうし……秋葉とかメイドカフェに行ったこととか言うの、なんだか恥ずかしくて」  彼は恥ずかしそうに笑った。オタクカルチャーにあまり詳しくないというか、触れてきた人間ではないのだろう。 「えっと名前は……ごめん、占いの時、メイドの子が言ってた気がするけど……憶えてない。俺は谷内(やち)、谷内裕也っていうんだ」 「わたしは、月夜野ちあら」 「ちあらさんか、あ、でもお店の名前だから……」 「ん、わたしは源氏名は使ってない」 「そうなんだ!? それは勇気が有るというかなんというか、大丈夫なのか? その、ストーカーとか、粘着する人とか」 「ん……大丈夫。わたしに勝てる人間は、そうそういない」  ちあらはしれっとそういう。 「え……?」  意外な答えに、裕也は驚く。ただその表情は、信じてはなさそうな感じだった。 「信じられないのはわかる」  ちあらも頷く。 「あ、いや、そういうわけじゃないけど……」  でも自分より遥かに小さな女の子だ。腕は細く、足だって華奢だ。  裕也はマジマジと改めてちあらを観察する。  どこをどうみても、喧嘩が強そうには見えなかった。 「巫女、だからかな……」  目の前の少女が持っている特殊なことというと、あとはそれしか思いつかなかった。 「それも、ある」  ちあらが自信ありげに頷く。 「へー」  巫女だから何が出来るのかとか、さっぱりわからないが、そう言うのだからそうなのだろう。それに少なくともそう言い張るからには、既に今までも自分の力でトラブルを解決してきたのだろう。  裕也は素直にそう思った。  それからしばらく、沈黙が続いた。  というのも、ちあらがメニューに首ったけになってしまったからだ。  外食を普段しないばかりか、こんなオシャレで綺麗な店になど入ったこともない。しかもメニューに並んでいる飲み物・ケーキ群はどれも見たことないものばかりだ。色も綺麗で、形も美しく、そしてとても美味しそうに見えるのだ。 「ふぁぁ……」  思わず感嘆の声がちあらから漏れ出た。  メイドカフェでケーキなどを見ないわけではないが、いかにも既製品って感じのものしかない。それに較べてここのケーキはフォルムが複雑で、彩りも美しかった。  裕也はちあらのその反応が、正確には理解出来ていなかった。  なにせちあらは裕也にとっては都会の子だ。そんな子がオシャレな店やケーキに慣れていないとは思いつきもしないわけで……。  そして当のちあらは、頭をフル回転させていた。  アレも食べたい、コレも食べてみたい。でもそんなに胃袋には入らないし、がっつくのははしたない。  となるとどれか一つにしぼる必要がある。  オーソドックスに生クリームか? それともチョコレートか? いやいや、抹茶か? フルーツか??  スポンジか? タルトか? ムースか? プリンか? ロールケーキも捨てがたい。  あと甘すぎるのはきっと途中で飽きてしまうかも。でも甘いのこそケーキの本道……。  などと考えていると、どんどんと自分が何を選べばいいのか解らなくなってくる……。  そうだ、飲み物!  どういった飲み物を選ぶかによって、ケーキの種類を絞り込むのも悪くない…!  やはりケーキの甘みとお茶の渋みのハーモニーを……はっ!? ホットチョコレート!? ココアもおいしそう。イチゴのラテもある。こちらはハーブティ……。はちみつ!  飲み物に目を移したばっかりに、ちあらは余計に混乱してしまった。  パタン…と、一度メニューを閉じる。  落ち着け、落ち着け、自分! いちど頭を空っぽにするのだ。  などと思って精神統一をしようとすると……。 「あ、決まった?」  と、裕也に言われる。  はう! ちがう、メニューを閉じたのは決まったからじゃない。これから!  こ・れ・か・ら!!  とはもちろん言い出せる勇気もなく……。 「あ、えと……」 「?」 「ゆ、裕也は何にするの?」  試しに目の前の男子は何を頼むのか聞いてみた。 「俺は、抹茶系かなー。でも東京のお菓子って甘さきつそうだから……その時も考えて、濃いめの珈琲でも頼もうかと」  はっ! なるほど、金沢といえば歴史ある街。江戸時代は江戸よりも栄えていたとまで言わしめるほどの街だった。  彼がまったく田舎くさくないのも、その所為だったか!  などとちあらは勝手な想像をめぐらす。  抹茶かー。渋い選択だ。  それに比してショートケーキだと子供っぽく見られるかなーとか、でもガトーショコラやザッハトルテは背伸びしすぎな気もする。  となると……。 「フルーツ」  ちあらは思わず声に出してしまっていた。 「ん? あぁ、フルーツ系のにするのか?」 「コク」  ちあらはメニューをもう一度開くと、タルト生地のベリーのケーキをチョイスした。ゼリーでベリーを閉じ込めてある。  となると飲み物は温かい紅茶が良いであろう。 *  *  * 「はふぅぅぅぅ……」  注文が終わって、ホッとするちあら。  すべての緊張が解かれる。 「ちあらさんは声には出さないけど、くるくる表情が変わってかわいいね」 「!」  うわ、観察されてた……。 「ケーキを悩む真剣な顔なんか特に」 「あぅぅ」 「ちあらさんは、メイドをすることはないの?」 「ん……あんまりない。前はメイドもしてたけど……」 「そっか。やっぱ占い専門なんだ?」 「コク」 「あ、でも予約入れれば、ちあらさんを指名できたりするのかな」 「そういう日もあるけど……望みは薄かも」 「ちあらさんが占いをしている方が、儲かるんだね」 「あう」  ストレートな所を突かれて、ちあらはうまく答えられなかった。  ちあらをメイドとして使うと客一人当たりの拘束時間が長い。巫女にしておけば、お客さんが来るたびに占いやお祓いのお金を取れる。 「金沢にはメイドカフェ、ないの?」 「一応、あるかなー。でも地元の高校生は入らないよ。身バレする。お酒出すところもあるしね」 「ふむふむー」 「あとちあらさんくらいかわいい子はいないなー」 「ぁぅ」  こう言うとき、なんて答を返せばいいんだろう。  他のメイドの子だったら、うまいこと言ってーとか、褒め上手なんだからとか、褒めても何もしてあげないよ、とか……なんかいろいろ言えることはあるんだけど……自分だったら……。 「あ、ありがと……」  素直に礼を言った。ウソでもこういうことを言われるのは嬉しいものだ。 「んー、あと男をあしらうのに、あんまり慣れてない」 「こ、コク」 「そんなことじゃ、ナンパされたとき、逃げられないぞ?」 「うーあー……」  ナンパとかされたことない。  でも美味しいケーキを奢ってくれるなら、ついて行ってしまうかもしれないと思う。 「メイドカフェのメイドさんだから、もうちょっとそういうのに慣れていると思ったんだけどな。でもそれがちあらさんのいいところなのかもしれないな」  そして男をうまくあしらえないから、巫女役をやっているのかなとも思った。 「と、東京はどう?」  今度はちあらが質問してみる。 「楽しいよ。でかくて、人も多くて。高層ビルとか金沢にはそうないしな。けど、他はそんなに変わらないよなー。だから修学旅行で来るようなところじゃないって気はした」 「ふむー……!」  それからしばらく、ちあらは裕也の聞き手に回っていた。  メイドカフェの中ではあまり喋らなかった彼だが、いろいろ思う所や考えはあるらしく、色々なことを話してくれた。  そしてその彼の姿に、かつての自分の想い人が何故か重なった。  別に似ているわけではないのに。  でも、今はいつの間にか彼の運気を、ちあらは感じ取れていた。  それはほとんど、かつての自分の想い人にそっくりだった。そう、運気が読めなかったわけではないのだ。読めてはいたが、それがちあらにとってあまりにも特殊だったから、ちあらの中のどこかで取り消されていただけなのだ。  なぜなら、あの想い人の運気は、この世界には存在しないからだ。  懐かしい感じ。  いとおしい感じ。  でも目を上げると、そこには自分の記憶とまったく異なる人物がいる。  ちあらは混乱しつつも、でもこの気をずっと感じていたいと思った。 「いやー、彼女にいい土産話ができたよ」  しかし彼のこの一言で、ちあらは一気に現実に引き戻された。  か、カノジョ?? 今、カノジョって言った!? 「アイツ、ちょっと重い病気しちゃってさ、修学旅行来られなかったんだ」  ちあらの驚きをヨソに、淡々と話し続ける裕也。  いや、別にこっちから告白したわけじゃないし、告白されたわけでもないし、何かを期待してたわけでもないけど……。  なんだろう、このフられた感? ガッカリ感? 「そう、それはよかった……」  相変わらずの抑揚のない声で答えるちあらだが、心中はなんだか穏やかではなかった。 「ちあらさんのことも話したら、喜んでくれそうだ。病気が治ったら、一緒に東京に旅行しようって約束してるんだ」  幸せそうな裕也の顔。 「その時には、またちあらさんの店に行くよ」 「あ、ありがと……」  えーい、もうどうでもいいや。そもそもメイドカフェは今月しかいないし。  という気持ちが、ちあらの心を支配していた。彼の運気を読み取るのも、やめた。  ただ彼女さんの病気のことは、巫女として気になったので、ちょっと探ってしまった。  容態ぐらいはすぐにわかる。急性白血病だった。  重い病気ではあるが、彼女さんの生命運はとても強かった。これならば治療は成功するだろう。そして、裕也は医師に治るとちゃんと説明をされたのだろう。何も心配していないようだった。 「わたしは本物の巫女だから、もし、あなたの愛する人が窮地に立ったら、力になることは出来る」 「さすがだね、ちあらさん。彼女のこと、わかるんだ?」 「コク」 「もし、医学の力でどうしようもなくなったら、お願いするかもしれない」 「コク。でもまずは、彼女さんの回復力と生命力を信じてあげて」  ちあらはそう言うと、裕也の手を握り、わずかながら自分の治癒の力を授けた。裕耶が彼女に触れたとき、その力は発揮するだろう。  とはいえ相手は金沢の人間。向こうには向こうの神がおり、そして裕也にもその彼女にも、ぞれぞれ守護は付いているはずだ。それらの邪魔をしてはならない。ちあらが与えた力はあくまでもそれらの力が及ばなかったときの保険のようなものである。 *  *  * 「あ~あ、いいわねぇ……カレシ」  一方、こなみとななみはちあらの後をこっそりつけて、少し離れた席にいた。  そして遠巻きにちあらが裕也の手を握るのを、しっかと観察していた。 「ななみはいるでしょーが!」  こなみはななみの頭を両拳で挟んでぐりぐりする。 「いたいいたい、お姉ちゃん痛い……! 遠距離恋愛ってそれなりに大変なんだってばー、もー」 「でもいないよりいいじゃない。あたしもカレシほしー!」 「うーん……」 「なによっ!」  ギロヌ! 「おねえちゃんの相手ができる男の人って、そう簡単にはいないと思うなー」 「どういうことよ!」 「今までお姉ちゃんが納得できるような男の人っていた?」 「え!」 「あたし、お姉ちゃんから男の人の褒め言葉って聞いたことない気がする……」 「そうだっけ? 確かに……記憶に残る男ってのが、いないわねー」 「桜織が男だったら、たぶんお姉ちゃんにぴったりかも!」 「はぁ?」 「どっちも頭はいいし、何でもできるし、男子よりも凄いところいっぱいあるし」 「桜織はあたしよりぜんぜん上だと思うけど。だいたい同い年なのにいくら稼いでんのよ、あの女は!」 「桜織はそうは思ってないみたいだけどねー」  こなみがいないとき、桜織がこなみへの尊敬の言葉をもらしているのを、ななみは何度となく聞いてきた。そしてその口ぶりから、柳橋家の連中にも吹聴しているようだった。 「おだてたって、桜織の仕事は絶対手伝わないわよ!」 「あー……」  もしかしたら桜織がこなみを褒めるのは、桜織なりのラブコールかもしれないと、ななみは思った。もしこなみが生徒会に入ったら、桜織にとってまさに鬼に金棒。百人力であろう。 「んー、とにかく今お姉ちゃんにお似合いなのは、桜織しか思い当たらない!」 「あたしゃレズじゃない!」 「そんなのわかってるけど……」 「あ、桜織っておちんちんついてないのかしら?」 「ぶっ!」 「おちんちん付いてたら、付き合ってもいーわ」 「そういう問題なの!?」 「美人だし、彼女にしたいくらい魅力的な女だとは思うわよ」 「その理論だとお姉ちゃんにおちんちんがついてないと……」 「あ、そうか。じゃぁおちんちんつけたら、彼女になってくれるかしら?」 「………」  いや、そもそもそういう問題でもないんじゃないかと、ななみは思う。 「だいたい、十和子が黙ってないような?」 「あー、そういえばそれもそうね。でもほら、十和子はペットでいいんじゃない?」 「は?」 「あたしと桜織でー、十和子を飼ってあげれば、十和子は充分幸せそう」 「お姉ちゃんがそんなエグいこと考えてたなんて……」 「べ、別にそういう願望があるわけじゃないわよ。桜織を彼女にするならって話! 今思いついただけ!」 「それはそうだけど……」 「となると、あたしと桜織、両方におちんちんが必要よねー」 「はぁ!?」 「そして十和子を二人で……んふふ」  こなみが胸に手を当てて目を閉じた。 「うぇ……」  こなみの頭の中ではいったいどんな変態的なコトが繰り広げられているのか……ななみは一瞬想像しそうになって、首を左右に大きく振った。 「にぎやか……」 「ふえ!?」 「ちょっと、いつの間にいたのよ!?」  いつの間にか、ななみの隣にちあらが座っていた。 「あれ、カレシは?」  ななみが、ちあら達が座っていたテーブルの方を見る。  が、そこは既に片されていた。 「もう帰った。それに、カレシじゃない」 「えー、付き合うんじゃないの?」  というななみの問いに、ちあらはゆっくりと首を振った。 「わたしは、誰かと恋することはないから」 「またまた、ムリしちゃって~」  ななみがウリウリとちあらを肘で押すが、向かいに座っているこなみは、ちあらのその言葉を聞いて、なんとなく理解していた。 「ちあらは巫女だもんね。巫女は処女じゃなくちゃ」  そして、ちあらのことを少しいじってみる。 「ん……どうかな。処女である必要は……」  ない気がする。  いや、そうでもないのかな。  天使はどう考えているのだろうか。 「それは、わからない」  ちあらは正直に吐露した。 「ふふ、冗談よ」 「なんのこと?」  二人の会話に入っていけないななみは、首をかしげるしかない。 「でも、好きな人ができたらどうするの?」  こなみが真顔で尋ねる。 「ん……その時にならないと解らない」  これもちあらは正直に答えた。  それに今でも好きな人はいる。あの世界の、鳥越多輝だ。  今、彼が目の前に現れたら、黒翼の巫女であることなどほっぽりだしてしまうだろう。 「…………」  と思ったのだが、意外と心は騒がなかった。  それは、あの世界がもうないことを知っているからだろう。  あの鳥越多輝はもう二度と、ちあらの前に姿を現すことはないのだ。  ただ、見方を変えれば、人よりも遥かに長い寿命を得たのだから、好きな人ができたら、その人の人生が尽きるまで共に歩む時間は余裕にあるようにも思えた。そして黒翼ならそれくらいの時間をくれるだろう。 「さて、そろそろ帰りましょうか」  こなみが伝票をとると席を立つ。時間はもう五時近く。早く帰らないと、十和子がしびれを切らしていそうだ。 「ここのケーキ、美味しかったね」(ななみ) 「そう? あたしには甘過ぎだわ」(こなみ) 「でも、今は、甘すぎるぐらいがちょうどいい……」  ちあらは少し満足そうに、けれども寂しそうに、そうつぶやいた。 「なぁに、それ。フられたんじゃあるまいし」  こなみがクスクスと笑う。  だが、半分はあたってる。ちあらはそう思った。 「帰りは電車でかえろうよ~」  もう歩きたくないななみが、電車での移動を提案する。 「え……」 「電車賃くらい出してあげるから」  困るちあらを、すかさずこなみがフォローした。 「あい」  それを聞いてか、ちあらは素直に頷いて、ななみの提案を受け入れた。 *  *  *  学校からの帰り道、谷内裕也の真相を知りたくて、ちあらは機巧屋へと足を向けた。  機巧屋では、相も変わらず黒翼が振り子時計と格闘していた。  壁にたくさん掛かっている振り子時計は、時々別のものと変わっていたり、なくなったりしているので、この店に客が来ていることは間違いないようなのだが、ちあらは客の姿を見たことはなかった。 「やぁ、いらっしゃい」  全ては解っているよと言わんばかりに薄笑みを浮かべて、黒翼がちあらを出迎えた。 「お茶でもいれるぬ~」  テトメトが奥へと消えていく。  そのお茶を待たずに、ちあらは黒翼に詰め寄った。 「あの人は、誰?」  全てお見通しの黒翼になら、説明はいらない。ちあらは単刀直入に黒翼に尋ねた。 「ちあらに命を与えた世界の鳥越多輝……に、非常に近い何か」 「近い?」 「もしかしたら、本物かもしれないし、ただ偶然に似ていただけかもしれない」 「本物の可能性も…ある?」 「複数の世界に普遍的に存在することは、人間では不可能。だけど、そう、トンネル効果のように肉体全ては不可能でも、ほんのほんのほんの一部……それこそ数個の分子が世界をまたいでしまうことは、そんなに珍しいことじゃない」 「………でも、分子じゃぁ」 「そうだね。でもエネルギーだったらどうかな」 「え?」 「思いとか、意志とか、なにかをやり遂げようとする『気』とか。それが世界を越えて、世界を抜けて、こちらに伝わることもあるかもしれない」 「そう……」 「何せ、苗字が鳥越だからね」 「?」 「鳥越という苗字には、とても意味がある……この東京、いや東日本の守護者と関係があるんだなこれが」 「どんな関係?」 「その守護者と血縁者……ということはあり得ないけれど、その呪いや力に触れた家系の可能性はあるかもね」 「その守護者というのは、普遍的に存在する?」 「するよ。そう、わたしのように、どの世界にも普遍的にね」 「お兄ちゃんがその守護者に触れた家系だったとしたら……」 「別の世界に何らかの影響を及ぼすことができる人間だった可能性もある」 「で、でも……!」 「でも?」 「それならこの世界の鳥越多輝に影響を与えると思う」 「どうかな……あの世界の鳥越多輝が、この世界の鳥越多輝とは限らない」 「え……」 「そういうことも、ある」 「ふむー……」 「けれど、仮にあの世界の鳥越多輝の影響がこの世界に漏れていたとしても、それは断片でしかない。鳥越多輝という人間まるごとを持ってくることは不可能」 「ん……わかってる。ただ、すごく懐かしい気持ちになれたから。それだけで、充分」  やはり、あの鳥越多輝には会えないのだ。  もう、お兄ちゃんとは呼べないのだ。  自分は、この世界にいるのに…! 「大丈夫。ちあらはまだわたしと同じ道を歩みはじめたばかり」 「?」 「いつか、見えるときが来る。外の世界を」 「そとの…せかい……?」 「そうなれば、すべてがわかる」 「お兄ちゃんのことも?」 「うむ。空間にも、時間にもとらわれずに、全てが見通せるようになる。そして、それはとても偉大なことだけれど、決して幸せなことではない」 「わかっている。わたしは不幸を選んだから」  巫女を選んだときから、それは決まっていた。  ただ、ちあらは一つだけ、黒翼に聞いてみたいことがあった。  今、この世界に、あの世界の記憶を持つ自分が居るように。  あの世界の鳥越多輝を、この世界に持ってくることは……。  黒翼なら可能だったのではないか。  だが黒翼は、それをしなかった。 「わかるよ、それも」 「!」  黒翼の全てを見透かしたような笑み。いや、実際に見透かしているのだろう。 「いつか、わかる」  そして深く頷くと、今度は優しく微笑みかけるのだった。 *  *  *  給料日──。  ちあらはこの一ヶ月で二〇万ほどの給金を得た。  夕方から夜二二時迄の、せいぜい一日五~六時間の労働でこの金額は破格であろう。  というのもちあらには色々な特別手当が付加されたからだ。ちなみにメイドだけの時給は一二〇〇円~二〇〇〇円である。 「ふおぉぉぉ……!」  中古じゃなくて新品が買える金額である。ちあらは予想以上の金額に、身震いした。 「もっといて欲しかったなぁ~」  驚いているちあらをフロア長が残念そうに抱きしめる。 「お祓いと占いだけなら、またやってもいい」 「ほんと!? 期待しちゃう」 「でも御主人様の相手をするのは……ちょっと苦手」 「結局、あんまり男慣れできなかったわよね、ちあらちゃん」 「う……」 「でもそこがかわいーんだけど!」  そしてもう一度、フロア長にハグされる。 「お世話に、なりました」 「おつかれさまー!」 「また来てね!」 「占い、楽しかったよ!」  メイド達に見送られながら、ちあらはメイドカフェをあとにした。  すこし後ろ髪引かれる思いもあるが、恥ずかしいバイトであったことも確かなわけで……。  ホッとしたような、寂しいような、なんとも言えない気持ちだった。  ビルのエレベータを降り、路地に出る。メイド喫茶は中央通りから二本ほど奥に入った小さな路地にある。  時間は夕方の六時ちょっと前。平日だというのに人通りは多かった。 「ふ!」  ちあらはいそいそと、目をつけていたお店へ足を運んだ。  実はスマートフォンを買おうと思っていた店は、メイドカフェからそんなに遠くない。  ちあらの計画はこうだ。  お給料が一〇万円以上だったら、新品を買う。未満だったら、中古を買う。  三大キャリアには契約せず、MVNO を使う。  残ったお金は、回線の維持費に回すというものである。  お給料が一〇万円以上だったので、ちあらはジャングル秋葉原店で輸入物の Xperia X Performance を買い、ヨドバシ Akiba で MVNO のスターターキットと、そしてガラスフィルム、ストラップの付くケースを買った。なんと、ガラスフィルムはお店で貼ってくれるという。  これは貼ってもらわねば!  いそいそとサービスカウンターに行くと、貼り付けサービスは二時間待ちとのこと。すると店員が、三階の修理受付カウンターでも貼り付けサービスをやっていると教えてくれた。 「ご面倒でなければ、三階ですと空いてますよ」 「ご面倒じゃない」  ちあらはキリリっと答えると、三階へ。するとそこは一五分待ちだった。 「はふぅ……」  買ってきたスマフォとガラスフィルムを渡して一息つく。  いよいよ、いよいよ、ポケモンGOが自分にも!  グッと拳を握って、これから来るであろうスマフォライフを想像する。  神社に来る猫の写真も撮りたいし。  テレビも見られるらしい。  あとユーチューブとかいうテレビではやっていないテレビというものもあるらしい。  あ、LINE っていうのもこれでできる??  とにかく知らない世界だらけだ。 「一五番のお客様、作業が終了いたしましたので、カウンターまでお越しください」  などと考えていると、自分の番号が呼ばれる。 「お越しする!」  こうしてちあらは念願のスマートフォンを手に入れた。  端末を手にとった時のこの感触が新鮮だった。  タップとか、ダブルタップとか、スワイプとかしたい!  とか思うが、それがどういう意味なのかはちゃんと解ってはいない。  だが使い始めるには、まだもう一つハードルがある。それが MVNO との契約である。 「こんどはなんだ?」  ちあらが店に入ってきた時、黒翼はほんっとーにめんどくさそうな表情(かお)をした。 「これが最後だから」  ちあらはそう言いながら、買ってきたスマートフォンと、MVNO のスターターキットを取り出した。 「あぁ……」  それを見て、ちあらが何しに来たのか黒翼は理解したようだった。 「ここに、一二万二一〇円ある」  ちあらは給料袋も黒翼に手渡した。 「残りを通信料にあてろと?」 「コク」 「音声通話込みの月二二二〇円ということは四年以上はつかえる計算か」 「コクコク」  などと話しながらも黒翼はスターターキットのパッケージを開け、中からナノ SIM を取り出し、ちあらのスマートフォンにそれをセットした。  その手際は実に素早く、かつ迷いもなかった。  普段から時計をいじくっているだけのことはあるとちあらは感心した。 「月6GBか……はたしてそれで足りるかな?」  そしてクスクスと笑う。 「?」  ちあらは何のことかわからないらしい。 「ま、使ってみればわかる」  それから黒翼はオンライン サインアップをし、挿した SIM をアクティブにした。 「えーっと、APN は……」  さらにスマフォを何回かタップして、契約した MVNO の接続情報を設定する。 「ほれ」  黒翼は設定の終わったスマフォをちあらへ手渡した。見るとアンテナのアイコンがちゃんと四本立っているではないか。 「あ、ありがと」  あまりにもあっさりしていたので、ちょっと不安に思うちあら。  恐る恐る Google Play にアクセスし、お目当てのアプリを検索し……そしてダウンロード! 「おおー……!」  ポケモンGOの画面が表示されたとき、ちあらは本当に嬉しそうな顔をした。  これからしばらくは、このスマートフォンに振り回される生活が続くことだろう。それはとても滑稽なことかもしれないが、ちあらにとっては初めての体験であり、憧れである。 「幸せそうだね、ちあら」  画面を食い入るように見ているちあらに、黒翼が声をかける。 「あ……」  ちあらはそう言われて、ふと不思議そうに黒翼に視線を移した。 「これくらいの幸せは、ないとね」  そう付け加えた黒翼だが、ちあらはゆっくりと首を振った。 「わたしは、まだ不幸に思ったことはない」  ちあらにとって、人生はまだ始まったばかり。もっともっと大変なことが、これから先いろいろあるんだろう……とは思っているが、どんな不幸が来るのか、それはまったく想像もつかない。 「ほほう」 「賽の目クラブのみんなもいるし、今は幸せだと思う」  ちあらはそう言うと、嬉しそうに目を細めた。 「それもそうだ。自ら進んで、不幸になることはない。わたしと同じ道を選んだこと、以外は」 「お茶を入れたぬ~。お菓子は京都から仕入れた豆餅ぬ~」  そこへちょうど、テトメトがお盆を持って入ってきた。 「遅いぞ」 「抹茶だったから、ちょっと時間がかかったぬ~。でもとろっとろで美味しいぬ」  そう言いながら、テトメトはちあらに抹茶碗を差し出した。  みると器も高級そうだ。 「ん……」  そして、良い香り。  高級な抹茶に、わざわざ京都から取り寄せた和菓子をいただく。  これもまた幸せの一つなんじゃないだろうかと、思う。 「黒翼……」  と、それを我が主に確認しようとしたが。 「ん? なんじゃ? 今は食うのに忙しいからあとにせい」  ちあらの方を見向きもせず、両手に豆餅をつかんでもりもりと食っている黒翼の姿があった。  詫びも寂びもない。  だが、これが黒翼の幸せなのかもしれない。 「ん、なんでもない……」  ちあらはそう言うと、テトメトのいれてくれた、温度のちょうど良い抹茶に、仄かな幸せを感じるのだった。 *  *  *  一ヶ月後、機巧屋──。 「黒翼、Bフレッツというのは……」 「やはり月 6GB では足りなかったか……」 「神社に WiFi を引く気だぬ」  こうして、結局ちあらのメイドバイトは終わることはなかったのである。 了 ────────────────────────────────────── ▼没/メモ 「あ、そうだ、お姉ちゃん、ちあらに占ってもらいなよ」 「「?」」  二人が首をかしげて、ななみを見る。 「お姉ちゃんの相手! どんな人がいいのか」 「あぁ……」 「ふむ」 「お姉ちゃんにカレシってあんまり想像つかないからさー」 「たしかに」 「べ、別にカレシなんて、作ろうと思えばいつだって…!!」 「そりゃ、お姉ちゃんから告白すれば、OKしてくれる男子って多そうだけど、でもそれって妥協したカレシでしょ」 「う……」 「絶対長続きしないって」 「うるさいわねぇ……」 「けれど、好きな人がわかってしまうのも、つまらないと思う。わかってしまったら、こなみはきっとその人に出会っても、本気で愛せないと思う」 「どうしてそう思うのよ」 「恋人になることがわかっている」 「「?」」 「恋人になる人がわかっていたら、その人に出会ったとき、その人とは恋人になるんだからってこなみは思ってしまう」 「誰でもそう思うんじゃない?」 「こなみの場合、たぶんそこでその人のことはそれで終わると思う。恋人になるのだから、何もしなくていいって」 「……なるほど? 普通はどうなるの?」 「どうしてその人と恋人になるんだろうとか、この人のどこに自分は魅かれていくことになるんだろうとか、考えると思う」 「な~るほどね、たしかにあたしはそうは思わないかも」 「恋は突然に。こなみはそういう恋じゃないとダメだと思う」 「   「なーに、さっきからため息ばっかりついてるのよ」 「え?」 「筆が止まっては、ため息 「 「頭の中が悶々としていることに変わりはないってことね」 「でもその人には、もう会えないから……」 「「え!?」」 「ご、ごめん……聞いちゃいけないことだったのね」 「え? あ、ち、ちがう、そういう意味じゃ……ない」  けど、死んだこととそんなに変わらないのかもしれない。  あの世界に戻ることはできないし、そもそもあの世界はあってはいけない世界。 「なにやってるのよ、お姉ちゃん……」 「いやー、 「う……」 「他人に触ってもらう方が、気持ちいいのよ?」 「そうなのよ~、ななみは舌技(ぜつぎ)の天才、もー 「いいかげんなこといわないでよ!」  処女だけど心は処女じゃないみたいな?  それも違うか……。 「ななみも確か、修学旅行生だったわよね」 「なんか、不思議な共通点ね」  バイトの帰り道。蔵前通りをトボトボと一人で歩く。  通りはひっきりなしに車が行き交うものの、歩道はほとんど人が通らない寂しい道路だった。  とはいえ、明るいし、 「こんな時間に、どこほっつき歩いてたのよ!?」 「これはよからぬ 「あうあう……」 「へー、ちあらがメイドカフェをねぇ……」 こなみ&ななみと勉強 -> もんもんとする オナニーというものを教えてもらう ちあらのウィークポイント https://tabelog.com/tokyo/A1302/A130201/13153668/ 「何せ、苗字が鳥越だからね」 「ぬ?」 「東京、いやこの関東を守護していたのは、誰かな?」 「う……」 「その血筋をついでいる……いやそれはあり得ないから、苗字からするとその呪いに先祖が触れたんだろうね。そうすればあるいは……」 「世界がなくなっても意識が維持できているかもしれないってことかぬ?」 「意識ほどはっきりしたものはムリだろうけど、何らかの影響を与えることはできたかもしれない。単純な感情とか、気持ちとかね」 「つまり今のこの世界では、あの修学旅行生がちあらの世界の鳥越多輝だったということかぬ? でもそれはおかしいぬ。影響を与えるとしても、それはこの世界の鳥越多輝のはずぬ」 「どうだろう。彼の信奉者は多かったし、また呪われた者も多かった。この世界の鳥越多輝が、別の世界の鳥越多輝とも限らない」 「それを言い出したら、この世界の彼だって、他の世界では彼ではないかもしれないぬ」 「フフ、わたしがそんなヤツに肩入れすると思う? そんなわけはない」 「まさか……」 「彼は、不偏だ。だから朝廷は徹底的に滅ぼそうとした」 「彼は人間じゃないのかぬ?」 「今回のように、気持ちや思いが他世界に影響することもある。それを突き詰めれば、人間でも普遍的な存在は不可能ではないのかもしれない」 「黒翼様でもわからないのかぬ」 「いんや? 知ってるよ」 「なんぬ」 「でも、嫌味でも何でもなく、猫には理解不可能だから」 「ぐぬぬ」 「わたしは彼の味方だ。そして、この地──東京は、彼のものだ」  黒翼は薄くほくそ笑む。  その目は、まるで獲物を狙う捕食者のよう。 「何を考えているぬ」 「別に? ただこの地が欲しいと、彼が願うなら……わたしはその力を惜しまない。ただそれだけ」 「東京を戦場にする気かぬ?」 「彼が、望むなら」 「もういいぬ、この話はやめるぬ。恐ろしくてこれ以上は聞きたくないぬ」 「フフ、色んなところで、結界が綻びはじめている」 「今、東京はとても不安定だぬ」 「彼が我慢しきれなくなっている証拠だ。この東京の、真の守護者はどちらか」 「なんどやっても、結果は同じだと思うぬ」 「 「がんばったちあらに、わたしからプレゼント」  黒翼は 「それでちあらの術による熱の影響は受けない。そのスマートフォンを持ったまま術を使っても、大丈夫」 「すごい…!」 「でも大丈夫なのは自分の術だけだから、気をつけて。ちあら由来ではない炎に触れたら、もちろん壊れる」 「ふむふむー」 「それから熱エネルギーを電気エネルギーに変換する機能もつけた」 「それはどういう意味があるの?」 「ちあらの発生する熱で、充電できる」 「!」 「便利じゃろ?」 「ありがとう、黒翼」